現在の足立区に、いつごろから人が住みついたであろうかということは知る由もないが、区内に古墳が数か所あるところから、いわゆる古墳時代すでに相当の住民がいたことが推察される。
文献によれば日本武尊がこの地にしばらくとどまられたといい(大鷲神社縁起)、奈良時代の行基(六阿弥陀縁起)や平安初期の弘法大師(西新井大師縁起)の巡錫(じゅんしゃく)の地とも伝えられ、また源義家(伊興観音縁起)源義光(大鷲神社縁起)の奥州遠征通過の地として種々の伝説があり、源平時代には源為義の三男志田先生(せんじょう)が梅田の明王院の開基となっている。また区内関屋の里は中世和歌の名所としてすでに中央にも知られていたほどで、ほど近い千寿村の地名は、遠く延喜年間(九〇一~九二二)に起こっている。
伊興の経塚から発掘された兜は藤原時代のもので、経筒、六器等とともに、埋められたのは足利時代であると推定されている。寺社の縁起や伝説は別としても、古墳や経塚の現存することは、当時相当な人物が住み、それらを中心としたいくつかの村落が散在していたことは確かである。しかし人口については調べるすべもない。