花畑出土の縄文土器片は、花畑町二二番地付近、毛長橋と大鷲神社との間の土木工事現場から出土した縄文式後期の堀之内式土器で、文様は口縁部近くに三本または数本の平行沈線が施してあり、側部には渦巻状の紋様がある。形は深鉢形で、色は黒色を呈している。この破片の出土状態ははっきりしないが、地下一メートルぐらいの黄褐色粘土層と砂層の間から出土したようである。さらに工事の進行により、そこから約二五〇メートル上流の地点で縄文式前期の繊維土器片が二個、表面採集によって発見された。しかし改修工事による土砂の運搬移動が激しいために、その正確な出土地点および出土状態は不明であるが、他地方からの土砂の混入は全くなく、土器の表裏とも磨滅されていないので、上流から流れてきたものとは考えられない。土質は二片とも荒く、焼きもよくなく、多量の繊維を含んでいる。このように、花畑における縄文式土器は、わずかにこの縄文式前期の繊維土器二片と、堀之内式土器片であり、これら土器以外の遺物はなにも発見されていないため資料はすこぶる貧弱で、今後の研究にまたなければならない。
また、同所からは、弥生式後期の土器、さらに時代がくだった古墳時代の土師器(はじき)、および須恵器(すえき)の破片など百三十片余と、土鍾(どすい)六個、砥石(といし)三個、円筒埴輪(はにわ)片一片とが、工事の際出土した。土師器には甕(かめ)、坩(つぼ)、高坏(たかつき)、盌(まり)、盤(さら)、甑(こしき)等があり、須恵器もほぼ同様であるが高坏は発見されていない。さらに大鷲神社周辺および仲組にはもと古墳があったが、現存していない。