円筒埴輪および人物像(頭部、手、足、胴部)、鎧の破片を白幡、谷下から出土しているが、いずれも断片で、全形を復原し得る程度のものはない。低平の耕地からの出土であるが、これは古墳が開墾されたものと思われる。
<擂鉢塚の埴輪> 白幡耕地の古墳はすでに述べたとおり白旗塚を除いては開墾され、低平の耕地となり現状をとどめていないが、昭和三十九年に白幡耕地が土地改良事業区域となり、その工事により埴輪が出土した。この工事でもと擂鉢塚のあった耕地がさらに現在の田圃(たんぼ)の地表面の下まで削られ、土地改良事業計画にしたがい埋立の土として使用せられた。この埋立地の表面採集により、多量の円筒埴輪の破片や、人物像四体および馬の首部や、大刀の破片を採集することができ、なお地主の協力を得て、破片の散布している線を追及した結果、田圃(たんぼ)の地表面下三〇センチの所で三個の円筒埴輪を発見することができた。この円筒埴輪三個のうち二個はその上部を欠き、その基底部分を残しているに過ぎないが、一個は倒れていたため完形に復元することができた。これにより円筒の中心から見て、約九〇センチの間隔をもった下部円筒列を確認することを得た。
擂鉢塚は円墳で、一重の埴輪円筒が古墳の境界を画すように列をなし、墳丘をめぐって立てられていたものと考えられる。
<円筒埴輪> 灰褐色をしており胎土、焼成ともに不良である。高さ三五・五センチ、上縁の直径二〇・六センチ、基底部直径一一・七センチ。円筒埴輪はいずれもたが状の帯状突起線を二重にめぐらし、その中央に直径六センチの円形の穴が二個向かい合ってあけてある普通のものである。
<埴輪馬> 首部の長さ二三センチ。赤褐色を呈し胎土、焼成ともに良好である。軽く口を開き両眼は楕円形で、簡単な馬具の着装を表わしている。輪状の鏡板と面繫(おもがい)を示し、辻に当るところには小鈴を着けている。
<人物像埴輪> 人物体部片四体分。いずれもごく小型のもので、一体は女子像でつぶし島田髷(まげ)をゆい、左の手のひらを上に向けて水平にさし出した状態を示し、右手は脱落している。如何なる意味の動作を示したものかわからない。両耳は二つの大きな穴(直径一・四センチ)であらわしているが、焼上げる際の割れを防ぐためのものであろう。頸部直径四・五センチ。他の一体は頸部に玉の緒を巻いて飾とした頸玉を着装し、勾玉五個を等間隔に配している。玉の緒の結び目は背面に長く延びている。頸部残存部直径は五・二センチ。他の二体中一体は男子像と推定される。焼く時に割れのはいるのを防ぐために両脇の下に穴をあけてある。頸部残存推定直径四・七センチ。足は省略され円筒形にまとめられている。
人物および動物の埴輪は墳丘上に立てられていたものであるが、工事人に聞いてもその出土状態、配列などに関するする事実を明らかにすることができなかった。