舎人の氷川神社周辺から、土師器、須恵器を出土している。戦時中当社北西に高射砲陣地を構築した際、多数の完形品を発見したとのことであるが、現物は散逸して不明である。現在収集されたものは、土師器の坩、坏の破片と、球形の土錘だけで、色は赤黄色と黄褐色のものがあり、薄手でろくろあとをとどめている。須恵器は坩の口縁部と底部ならびに器形のわからない小破片で、口縁部の破片には二段の波状並行線が描かれており、その他の小破片には敲目(たたきめ)紋様が全体に行きわたっている。土質は堅緻で焼成も良く、青色を呈している。
入谷の氷川神社(白幡神社ともいう)は、円墳の上に作られたものである。わが国上代の神社と古墳とは、きわめて密接な関係をもち、神社発生の一要素として、古墳の存在を没却することはできない。本例は神社が正しく、最初墳墓を対象として創立されたという積極的証左とすることはできないが、上代では部落と氏族と神社との関係が密接であったから、古墳造営後、ある一定の年月を隔てて、氏神として墳墓の上に社殿が作られたものと推定される。当社付近からは、土師器、須恵器の破片が出土したが、舎人出土のものと類似している。
大谷田の古墳跡は中川堤のすぐ下に当る現在の中川五丁目(大谷田町五八八番地)で、二十数年前まで円墳の跡をとどめていたが、日立工場の建設や、数度の水害防止の作業で、今はあと方もなく掘り取られてしまった。