天正十八年(一五九〇)七月、小田原城が陥り、北条氏が滅亡した後、德川家康は封を関東に移され、同年八月一日(八朔)江戸城にはいってからは江戸の面目が一変した。徳川氏は江戸入府とともに、新封の地をもってその家臣に分かち、荒廃した土地を修めると同時に、またしきりに江戸およびその付近の土地の開墾、新村落の建設、治水の計画、交通の整備、寺社地再興の政策などを行なったので、当足立地方も江戸の郊外地として、漸次開発されていった。
第三節 江戸時代
天正十八年(一五九〇)七月、小田原城が陥り、北条氏が滅亡した後、德川家康は封を関東に移され、同年八月一日(八朔)江戸城にはいってからは江戸の面目が一変した。徳川氏は江戸入府とともに、新封の地をもってその家臣に分かち、荒廃した土地を修めると同時に、またしきりに江戸およびその付近の土地の開墾、新村落の建設、治水の計画、交通の整備、寺社地再興の政策などを行なったので、当足立地方も江戸の郊外地として、漸次開発されていった。