代官

271 ~ 271

 当時における郡代・代官は、農村の行政・司法の両面に強大な権力をもち、これに任命される者はたいてい、旗本が選ばれ、勘定奉行に従属していた。関東代官所は当時江戸日本橋馬喰町にあり、郡代屋敷と呼ばれた。郡代の役高は四百俵、代官は百五十俵、幕末には郡代は二千石となった。そのほか支配地の石高に応じ、諸入用と称し、規定の米金を給された。

 代官の職務は、公事方と地方(ぢかた)の二つに区別されていた。『武鑑』には、「支配地十万石以上なるを郡代、以下なるを代官とす」とあり、関東郡代は伊奈氏が世襲で、十二代二百年間に及んだ。寛政四年(一七九二)三月、伊奈氏が罪を得て職を奪われ、没落した後は、勘定奉行の久世丹後守広民が郡代を兼ね、四月にはじめて立会代官を置き、以後は代官の支配するところとなった。

(広民転役の後、また勘定奉行中川飛弾守忠英が郡代を兼ねた)