支配代官

274 ~ 279

一、寛政四年四月より  大貫次右衛門 伊奈友之助

二、文政五年月より   中村八太夫

三、天保十三年正月より  関保右衛門

             伊奈半左衛門 立会

四、天保十三年五月より  関保右衛門

五、天保十五年十一月より 築山茂左衛門

六、嘉永二年八月より   青山録平

             斎藤嘉兵衛 立会

七、嘉永三年月より    青山録平

八、嘉永四年月より    斎藤嘉兵衛

九、安政四年月より    林部善太左衛門

             竹垣三右衛門

一〇、文久三年 月より  木村董平

一一、慶応二年 月より  佐々井半十郎

             今川要作

一二、慶応二年十月より  今川要作

一三、慶応三年三月より  佐々井半十郎

             大竹左馬太郎

一四、慶応三年九月より  松村忠四郎

 寛政四年四月以降の代官は以上のようであるが、「文政七申年、武州埼玉郡上崎村堰場之儀ニ付訴状」にあらわれた当区関係支配代官は次のとおりである。

  中村八太夫代官所

東叡山領 武州足立郡 伊興村

      〃    竹之塚村

      〃    六月村

      〃    島根村

      〃    栗原村

      〃    西新井村

      〃    興野村

      〃    本木村

      〃    小台村

      〃    宮城村

      〃    掃部宿

      〃    千住宿

  伊奈半左衛門代官所

     武州足立郡保木間村

      〃    花又村

      〃    内匠新田

      〃    嘉兵衛新田

      〃    五兵衛新田

      〃    伊藤谷村

      〃    弥五郎新田

      〃    次郎左衛門新田

      〃    梅田村

      〃    小右衛門新田

東叡山領 武州足立郡 鹿浜村

      〃    堀之内村

      〃    高野村

      〃    上沼田村

      〃    下沼田村

  中村八太夫代官所

     武州足立郡 舎人町

      〃    入谷村

      〃    古千谷村

 右のうち淵江領では、鹿浜のうち加々皿沼、鹿浜新田、普賢寺村、北三谷村、長左衛門新田、蒲原村、長右衛門新田、大谷田村、佐野新田、久右衛門新田、六ツ木村、久左衛門新田、辰沼新田が見えていないのは、水利組合の関係であろう。なお沼田村が上下に分かれていることと、この訴状では百三十か村記載中、中村八太夫(六十か村外二領)伊奈半左衛門(十か村)東叡山領(九か村)、根津権現領(三か村)および料所と寺領が含まれている村(たとえば伊興村)があり、当区以外は埼玉県の村々である。

   代官交代の際の郷村引渡触書

一 自分御役替に付其村々此度伊奈半左衛門、関保右衛門立会当分御預け被仰出候間今二十九日郷村引渡候間可得其意候。此触書村下へ請印せしめ刻付を以順達、留り村より可相返ものなり。

(天保十三年)

  寅正月二十九日         中村八太夫

                    村々役人

   新代官郷村引継触書

一 其村々自分共立会当分御預所被二仰出一、今二十日郷村請取相済仕候間、得二其意一廻状村下令請印、早々順達、従レ留可二相返一者也。

  嘉永二年酉八月廿日

                青山録平  (印)

                斎藤嘉兵衛 (印) 役所

                    村々名

一 其村々青山録平、斎藤嘉兵衛当分御預所被仰付候間、得其意、小前末々迄不洩様可申聞候。此廻状村下に令請印、早々順達留より可相返もの也。

  嘉永二酉八月廿日      築山茂左衛門 元役所

                  村々名

 手付以下の役人は、郡代や代官の補助機関にほかならない。手付は郡代、代官の命令で事務をとり、御家人から任じ、譜代席、抱席(臣籍を得て、一代限り仕えるもの)の両種の資格があり、手付は各自、食禄のほか、勤役中別に、郡代、代官の諸入用のうちから手当として、米金を支給される。手代は郡代、代官に付属して事務を行ない、家人でなく郡代や代官の家臣のときもあり、また農民中から挙用される場合もあった。したがって給料は郡代、代官の経費中から受けた。書役は手代の嗣子に、事務見習いをさせ、のち勘定所の許可で手代となった。これらの役人は一代官につき、平均二十名内外付属していた。