五人組帳の内容とその任務

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 五人組帳前書に示された条項はすこぶる多岐にわたるもので、世事百般を網羅し、概括することは困難であるが、共通的なものを拾い上げて見ると次のようである。

 治安維持・身分厳守・宗教取り締まり・納税・勤倹・教化・隣保共助・その他である。(細川亀市著『隣保制度史』)なお故穂積博士はこれを(一)警察法、(二)宗教法、(三)同吏員法、(四)駅伝法、(五)租税法、(六)勧農法、(七)営業法、(八)道徳法、(九)身分法、(十)節用法、(十一)民事法、(十二)刑事法、(十三)訴訟法の十三類に分け法律的に類別している。

 治安維持 五人組制度を設けたその目的は、実に治安維持の一助とするためにほかならなかった。この規定は最も早くから着目され、後代まで引きつづき行なわれた。すなわち犯罪をあらかじめ防止することに努め、もし犯罪が起こったならば、万全の措置を講ずることが、五人組の重要な任務であった。しかし五人組に対し、このような義務を負わせた以上は、この義務の履行を強要する必要があったので、一般に五人組帳の劈頭(へきとう)にはこの点についての規定がある。

 その第一条には「兼日(かねて)被二仰出一候通、大小之百姓五人組を究置、何事によらず五人組之内にて御法度相背候儀者不レ及二申上一、悪事仕候もの有レ之候はば、其組より早速可二申上一候、若隠置、脇より申出候はば、其者には品により御褒美被レ下、五人組之もの名主共に曲事に可レ被二仰付一旨奉レ畏候、悪事仕候もの申上候はば、自然同類親類縁者抔後日にあだをなすべきと気遣に存候はば、隠密に可二申上一由、是又奉レ畏候、諸事致二吟味一、聞出次第御注進可二申上一候、並脇百姓・家抱・前地店之者共に五人組を極、判形取置可レ申候、若五人組に外れ申候もの御座候はば、名主組頭曲事に可レ被二仰付一候事。」

とあって、組内における犯罪の発生に対し、名主とともに、五人組合員に連帯責任を負わさせている。

 その他治安法の目的のあるものは、第十四条「在々所々悪党もの有之時」、第十五条「在々所々名主百姓之所へ盗人入候はば」第十六条「盗人之届または盗まれ候雑物見出し、其届有之候はば」第十七条「男女によらず、欠落者郷中へ参候はば」第十八条「手負の者他所より参候儀は」第十九条「何者によらず人をあやめ立退候もの有之節」などのように組合員に、広汎な犯罪検察の義務を負わせている。

 宗教取り締まり 主として切支丹の禁制に関すものであるが、そればかりに限らず、たとえば第四十一条「切支丹宗門御禁制之儀、御高札之面急度相守可申候」とあり、祭礼については第四十九条「祭礼・法事弥々軽く可二執行一之」、第六十三条「在々にて神事仏事其外何によらず新規之儀堅く禁ずる」ことなどを規定している。宗教法としては不完備であるが、その根本は、切支丹禁制を励行することであった。

 納税 幕府なり、大名なりは、租税の完納を非常に重視し、五人組にとっては、最も大切な任務であった。第七条にはまず「御年貢皆済不仕以前に他所へ米出申間敷候」とあり、取立てるべき米がなくならぬよう規定し、第八条「御年貢穀、物升之儀、郷中相談にて相定、御法度之ごとく升目之かねを払ひはかり立、三斗七升入に納可申候」、第九条「御年貢御割附、惣百姓寄合拝見仕、云々」とあり、進んで同じ問題に関して「年々御年貢内割仕候節、名主・年寄・惣百姓寄合、御割付之表を以、勘定相違無之様に割をいたし、」とし、年貢を納め置く倉庫、すなわち郷蔵については、第十一条「郷中に有之郷蔵に御米詰置候内、郷中之者預り、昼夜番仕候上は、盗人又は御米ふけ候歟、何事によらず損米御座候共、急度弁へ差上可申候云々」とあり、この最後の文のように、郷倉付近の火災のために、郷倉中に所蔵する米が、不可抗力によって焼失した場合にも、なおかつ郷村の者たちに弁納せしめるという厳しいものであった。しかしこの時代の納税は、前記名主の「落度」で述べたとおり、個人的責任でなされたのではなく、郷村の連帯責任であった。

 簡約すれば、五人組が組内の租税代納義務をもっていたということになる。

 勤倹 これは勤勉と倹約とを併せたもので、おおいに強調された事柄である。これなくしては生産力の増進と富の蓄積とがなされない。したがって租税の取立てに影響するからである。

 第二十条では「田畑一歩之所も荒申間敷候」といい、耕作の精励および相互扶助などを強調し、次に退転した百姓の跡を潰さないようにと、第二十三条「小百姓退転いたし候跡之田地を持添にいたし候事」とし、第二十四条「古畑にたばこ作り申間敷候事」であり、煙草は食にも薬にもならず、むしろ金銭の費となり、火の用心も悪く、これを吸うべきでないという原則から、古畑へはなおさら禁止した。第四十二条では「耕作商売をも不致、又者遠国へ切々相越者並に博奕(ばくち)其外(かけ)賭之諸勝負を好み、不似合の衣類を着し云々」と、無為無頼の徒は処罰するとした。第四十八条でも、また耕作に精励しない者があれば、処罰すべしと規定し、荒地をそのままに放置することを禁じ、これを耕地に普請することが百姓の義務であるとし、第六十二条で「永荒地引高之内、精入随分立帰候様可仕候云々」とこれを強調している。

 教化 人民に対して、悪を離れ、善につかせるということは、いずれの国、いずれの時代でも、考えられているが、それに加えて「孝道」を強調することは、東洋道徳の最も重視するところであった。したがって儒教がわが国に渡来してこのかた、中古でも、中世でも強く強調され、それが近世に受け継がれた。ことに中期以後には、教化的色彩が濃厚になってきた。さらに貞節、親睦、忠義などは五人組の大切な義務であった。第六十七条では捨子を禁止している。ここに規定はされていないが、村内に忠孝の道を尽し、あるいは村の手本になる人がいたら、名主、組頭支配の御代官へ申し出づべきことなどと、その教化の実現を期し、かつ褒賞した。

 身分厳守 一般に、旧時代は身分的秩序を非常に重んじた。それは社会秩序の維持上、はなはだ大切だからである。例えば第五十一条には「百姓町人衣類𥿻(絹)・紬・木綿・麻布、以此分限に応じ、妻子共に可着用、此外無用に可仕旨被仰渡奉畏候事」とて衣類の生地や染色にまで立入って定めている。第五十五条には「百姓並子供初め軽き侍奉公に出て其後在所へ引込候ても其儘刀差候儀仕間敷候」と百姓の帯刀を禁じ、その他、百姓の起居動作について一定の型が定められてあり、しかも、それは百姓町人という身分に固定したものとなっていた。身分的秩序の維持については、別に多くの法令が出されており、この五人組帳のはその一部分に過ぎないようである。いうまでもなくこうしたことは決して自然発生的なものでなく、時の為政者によって助長された点が多い。

 隣保共助 以上の諸条によってわかるように、五人組制度は、当時の為政者が政治を行なうために、おおいに利用価値があったことは疑いないが、五人組に隣保共助を実行させることも、政治の要諦として、意を用いられた。たとえば第二十条の後段に「壱人身之百姓煩ひ紛なく、耕作不罷成候時は五人組は勿論一村の者寄合、田畑仕附、収納仕る様」として相互共助を示している。

 そのほか、五人組帳あるいは御定百カ条その他に規定されているところは、すこぶる多岐にわたっていた。

 まず百姓が国法を遵守すべきことは、くりかえし強調されている。たとえば第二十六条「御公儀御用之儀何方より申来候共宿々は不及申、何れの村々にても縦ひ刻付無之候共、遅滞仕間敷候」、とあり、前記第一条にも、「五人組之内にて御法度相背候儀者不及申上…云々」と定め、五人組をして個人の遵守を義務づけている。

 次によく現われているのは、第五十八条のような人身売買の禁、および第三十九条の遊女の禁などである。当時諸種の形式で、人身売買が行なわれていたのを禁止している。このほか、道路橋梁の修築や、牛馬の売買、金銀の貸借や、竹木伐採の禁止、布令の伝達・訴訟を起こさぬこと、質物質地、田地の永代売買の禁止、火の用心、結党の禁、印判の所持、境および用水の争論、出火の責任等々実に枚挙にいとまないほどの事項に及んでいる。

 以上のように、町村における自治機関としての、事務と責任の大部分は五人組に負わされていた。町村役人は単にこれを指揮監督するに過ぎず、しかも名主の職掌は前記のとおりこの範囲が広く、今日の警察事務を分担し、ことに風俗の取締りは最も重要なことで、博奕(ばくち)またはこれに類似の行為、密かに淫売婦を置くものの監督などがあり、徒党一揆(き)の蜂起の予防、火災盗難の予防、喧嘩口論の取りしずめなど、みな町村事務の一つであった。また町村部内に出入する旅人や、転入者の検査、無頼の徒、好乱の輩などの出入につき取り調べをしなければならなかった。

 また他国へ旅行する者は、必ず名主の許可を受けなければならない。宗門改めはその責任で、毎年「宗門人別改帳」を調製して、新しく他村から転住して来た者には「寺請状」をとって、これを監督し、万一禁制の宗門の者があれば、それを届け出なければならない。この届出を怠り、後日になって露顕した場合には、名主や組頭はもちろん、五人組の者までもみな罰せられた。