年貢割付状

341 ~ 349

 詳(くわ)しくいえば「御年貢可納割付」または「御年貢割付帳」ともいう。割付とは田畑の上・中・下品等の反別に応じて貢租を割付けることである。郷帳による石高に、定められた租率によって、年貢を徴収するのであるが、納租の率は五割ないし六割を、租税として徴収するが、天領などでは普通、五公五民といって、石高の五割を徴収した。この割付の令達によって、期日までに必ず納付せねばならなかった。

 次に示す年貢割付は、最も簡単な形式のもので、区内では、おそらく一通しか残っていない古いものである。年貢割付には各種の形式があり、後年になるほど明細になっている。

   寅年さいかち新田四町目御年貢可納わり付事

  下田壱町五反三歩

       此内 五反三歩  付荒

     残壱町歩      三斗取

    此取三石

右如レ此相定上ハ霜月中を切(きつて)而可レ有二皆済一若(もし)其過於レ無二沙汰一者譴責を以可申付依而如レ件

  慶長十九年寅十一月十日           伊奈半十郎(花押)

                            名主百姓中

 右の文中、付荒とは、仕付けはしたが、米のできないことで、免除の意。なおこの文書は、四ツ屋開発の年代を示すものとして貴重である。四ツ屋は、次郎左衛門新田といわれていたが、『武蔵風土記稿』によれば

「当村ノ開墾ハ文禄・慶長ノ頃ノ事ニテ、次郎左衛門・権右衛門・庄兵衛ナド云者開ケリト云、其頃ハ千住四丁目ノ名主支配シテ持添新田トナシ、槐新田ト唱フ、サレド慶長十九年ノ割付ニハ伊奈半十郎支配所千住四丁目槐新田ト載タリ、其後幾程モナク今ノ村名ニ改シニヤ、正保ノ改ニハ則今ノ村名ヲ記セリ、故ニ今モ千住宿組ノ内ニ属シテ他村ノ如ク助郷ノ人馬ハ出サズト云民戸廿七」

とあるのを裏付けている。また文中には取高はあるが、税高すなわち年貢高は記してない。もし五公五民とすれば、年貢高は三石の半分一石五斗となる。

 次に元禄六年の次郎左衛門新田の年貢割付では

   酉年次郎左衛門新田御年貢可納割付事

        三反八畝拾弐歩  井堀ニ成

      内 弐町八反五畝九歩 付荒

下田六町弐反六畝拾五歩

        壱反七畝廿六歩  旱損引

        三反九畝四歩   検見引

         残分ケ

        六反弐畝廿九歩  三斗取

         此取 壱石八斗八升九合

        壱町六反壱畝四歩壱斗五升取

         此取 弐石四斗壱升七合

        壱反七畝廿三歩壱斗取

         此取 壱斗壱升七合

     下畠 三反九畝七歩五拾文取

         此取 百九拾六文

     寛文四辰より高入

     下田 壱町七畝廿八歩内四反三畝五歩検見引

        残六反四畝廿三歩弐斗五升取

         此取 壱石六斗壱升九合

    同断

     下畠 六畝廿歩 五拾文取

         此取 三拾三文

         米合 六石壱斗弐合

         永合 三百六拾七文

右如此相定上者霜月廿日を切(きって)而可致皆済、若(もし)其過於無沙汰者以譴責可申付者也仍如件

  元禄六年酉十一月五日      伊半十 (印)

                    名主百姓中

(注)伊半十は代官伊奈忠篤のこと。


   午歳御年貢可納割付之事

巳より酉迄 五ヶ年定免 武蔵国足立郡

            次郎左衛門新田

一 高四拾四石三斗八升八合

   此反別拾弐町五反四畝歩

   内 田方 九町六反三畝拾四歩

     畑方 弐町九反拾六歩

   右町歩訳

下田  九町四反五畝廿六歩

下々田 壱反七畝拾八歩

下畑  弐町八反廿三歩

屋敷  九畝廿三歩

  小以 米 弐拾弐石四斗四升八合

     永 弐貫七百三拾七文

   外

一 永拾四文     林銭

   此反別 五畝拾弐歩

一 永 三文     藪銭

   此反別弐畝拾歩

一 米 弐升七合   御伝馬宿入用

 納合 米 弐拾弐石四斗七升五合

    永 弐貫七百五拾四文

右者当午歳御取箇書面之通侯、大小百姓無二高下一割合、霜月廿日を切而、可令皆済、若其過於無沙汰者、以譴責可申付者也

  安永三年午十一月五日      伊半左 (印)

                    名主百姓中

(注)安永三年は一七七四年

   伊半左は伊奈忠敬

(裏書)

表面御割付惣百姓寄合小割仕、少も相違無御座候

                       以上

             権右衛門 (印)

             八郎兵衛 (印)

             庄兵衛  (印)

             次郎左衛門 (印)

             長右衛門 (印)

             又右衛門 (印)

(備考)(1)「五ヶ年定免」とは五年間税率を定め、登記ずみの反別について、課税することをいう。

    (2)新田などは、かなり年代がきて、とれ高がきまるまでは、反別の中に入れなかったらしい。「高入」がそれである。

    (3)「井堀ニ成」は登録反別中なれど、用排水堀になったための免税の意。

    (4)「旱損引」は日照り、また水不足のための免税

    (5)「検見引」稲作の出来を検見した上の免税

    (6)「百姓」百姓と同じ。

    (7)裏書きは全員連名をもって、または名主年寄等で承認を行ない、誓約したもの。

  宝暦八年寅十月

  寅御年貢可納割付之事

 戌より寅迄五ヶ年定

一 高弐百弐拾八石五斗二升

      武州足立郡千住二丁目

 此反別五拾弐町九段五畝二十七歩

 内 拾三町弐畝六歩      田方

   三拾九町九段七畝二十一歩 畑方

 此訳

 上田 弐町九段九畝二歩

 中田 四町七段二畝十三歩

 下田 五町八畝弐拾六歩

 下下田 弐段壱畝弐拾五歩

 上畑 九町三段六畝十六歩

 中畑 拾三町六段六畝五歩

 (内弐反三畝十六歩 午より屋敷に成)

(注)午は寛延三年か

 下畑拾三町八段

(内弐畝弐歩  午より屋敷に成)

 下下畑 四段七畝

屋敷 弐町六段八畝

(内六段八畝弐拾弐歩 御伝馬/地子免所)

 定 米 四拾四石四斗一升六合

   永 四拾壱〆弐百参拾弐文

 外

 永 五〆八拾四文 野銭(此反別四町三段壱畝)

 永 八百四拾四文 草銭(同弐町四段壱畝四歩)

 永     八文 藪数(同    五畝九歩)

 永     壱文 林銭(同     十五歩)

一 米 壱斗三升四合 御伝馬宿入用

納入

 米 四拾四石五斗五升

 永 四拾七〆百六拾九文

右者戌より寅迄五ヶ年定めの内当寅御差図書面の通相極候条、村中大小百姓入作之者迄不残立会無高下割合之来る極月十日以前無滞可令皆済者也

   宝暦八年寅十月

               辻源五郎 (印)

                本村名主

                 年寄

                 惣百姓