一里塚

397 ~ 397

 慶長九年(一六〇四)二月、諸街道を修理する際、江戸日本橋を基点として一里ごとに塚を築き、榎を植えて旅行者の便を図った。当地区には千住宿と竹塚に設けられたが、千住宿の分は一丁目小橋際北側に、高札場と相対して型どおりに築かれ、「江戸より二里八町」と刻した石標も立てられたことは、古図に示されている。竹塚所在の一里塚については、記録には残っているが、位置など明らかでない。なお草加宿にはいってのものは、現草加市吉町の火の見櫓下が旧位置である。

 明治維新後これら塚間の里程が、正しく三十六町になっていないところもあったことから、再測量をし、さらに、明治九年内務省令をもって、有益なものだけを存置し、他は廃すべきことを令達したので、当地の一里塚も廃されてしまった。