貫目改所

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 人馬の負担する荷物が過重にならぬよう検査するところが貫目改所で、正徳二年(一七一二)道中条目が制定されたときに、東海道は品川、駿府、草津の三か所、中山道は板橋、洗馬の各宿駅に設けられた。千住宿はこれより遅れて、寛保三年(一七四三)八月、稲生下野守、水野対馬守が道中奉行の際、宇都宮宿とともに設けられ、問屋場敷地内に置かれた。はじめは秤は一挺であったが、のち人馬輸送量の増加とともに文政五年(一八二二)から二挺となり、江戸秤座守随兵三郎の納入した三十貫目秤を使用した。改所に勤務したのは、名主年寄の中一人、定詰年寄一人、下役二人の計四人であった。すでに人馬一人一疋の運搬する荷物の定量は、道中条目以来次のように定まっていた。

「     荷物貫目駕籠掛り人足之事

正徳三己年八月中道中奉行所より蒲団跡付中敷、小附等貫目内外之儀、心得方取極可二申上一旨被仰渡候ニ付伝馬町役人並当宿役人相談之上、連印ヲ以差出候書付左之通。

       覚

一 乗掛 弐拾貫目 此外蒲団中敷、小附一式ニ而三、四貫目者用捨可レ仕候。

一 軽尻 五貫目

一 駄荷 四拾貫 此外ふとん中敷・跡付・小附一式ニ而弐三貫目者用捨可レ仕候

一 人足壱人 五貫

一 乗物壱挺 六人掛

 一 山駕籠壱挺 四人掛 当時山乗物と唱候分

 一 長持壱棹 但六人

    (正徳三年)巳九月        」

 「  荷物貫目覚

 一、五貫より七貫内志 壱人持

 一、七貫-拾貫 壱人半

 一、十貫-十二貫 弐人

 一、拾弐貫目より拾五貫目内志 弐人半持

 一、拾五貫-拾八貫 三人持

 一、十八貫-廿貫 三人半

 一、弐拾貫-二十三貫 四人

 一、廿三貫-二十五貫 四人半

 一、二十五貫-二十八貫 五人

 一、二十八貫-三十貫 五・半人

 一、三十貫-三十三貫 六人持

 一、四十貫より四十四貫 本馬

 但本馬小附共弐疋ニ仕訳候共、本馬二疋え賃銭払候事

 一、廿貫より廿四貫荷軽尻 但小附共人乗候得者本馬賃銭払候事

 一、五貫より九貫目迄乗軽尻、但乗下小附共

 しかしながら当時のように階級制の厳としていた時代に、支配者たる武家公家の荷物を、町人たちがその基準どおりに検査することはすこぶる困難なことであった。そのためせっかくの貫目改も無意味になり、人馬を苦しませることになるのでときどき取締りが行なわれ、文化十二年には請書を出している。

「    御請書

一 日光道中千住宿荷物貫目改方近年等閑ニ相成巨細改方不レ仕候ニ付諸向御通行御方もいつとなく過貫目荷物御持通被レ成候様ニ成行候趣被レ及二御聞一候右者畢竟改方等閑より事起候趣ニ而甚以不レ宜事ニ付当亥年之義ハ日光山におゐて御法会も有之旁別而諸向通行も多く候間此節より改方別而念入譬御役人方之御荷物たり共少茂無二遠慮一相改過貫目之分ハ其改之通候御取用い無レ之向ハ右御名前御支配御役所へ申立道中方御役所へも申上候様可レ仕旨此度被レ仰候儀ニ付右之趣相心得此節より改方行届候様念入可申旨且又人足壱人五貫目持御定ニ候得共三、四貫迄用捨致ハ、九貫目迄用捨遣壱人持之積相心得、長持之儀者右割合ニハ無之譬弐拾貫目四人持之処三、四貫目用捨致弐拾三、四〆目迄四人持弐拾五貫ニ至候得ハ五人持ニ成候積相心得改方可レ仕旨被二仰聞一奉二承知一候。

右之趣御示達被レ成委細奉承知候外宿役人共にも頓為二申聞一改方念入可レ申候依レ之御請印差上候。以上。

   文化十二亥正月

              千住宿

                問屋惣代

                年寄見習 政蔵

  大貫次左衛門(様)

      御役所                 」

 またこれの経費は、幕府からの給付金二十五両と、余分は宿負担としてまかなった。『五駅便覧』荷物貫目改所のことの項中に

「一金 二十五両宛  日光道中 千住、宇都宮

右二ヶ所貫目改所は寛保三亥年(一七四三)稲生下野守、水野対馬守勤役の節松平左近将監殿へ伺之上被レ下候也                      」

と記されている。さらに文政四年(一八二)道中取締方の覚書に次のように記されている。

「    覚

一、米四拾弐石四斗八升

金千弐百拾両三分永九拾六文四分

    此訳

金 九百弐拾八両永九拾壱文四分此度限御入用分

是者品川、府中、草津、板橋、洗馬、千住、宇都宮貫目改所建広、並内藤新宿、甲府町へも右改所御取立之積り、右両所者通行も少く御座候に付品川其外改所より取立方手軽之積り、御入用之儀者半減之見込、凡御入用之分。

金 五拾四両

是者是迄改所七所へ秤壱挺宛相渡、内藤新宿には有来秤弐挺有レ之趣に付別段不二相渡一、甲府柳町へは秤弐挺相渡候積り、都合秤九挺之代金、但壱挺に付金六両宛

一、 米四拾弐石八升  年々御入用分

 金 弐百八拾弐両三分永五文

金 九拾両三分 永百弐拾五文

是者品川、府中、草津、板橋、洗馬、千住、宇都宮、貫目政所御手当金去る卯年(文政二年)より元金之内、五分通り引方被二仰付一候処此度元高之通被二下置一候積り、右五分通増方に可二相成一分

金 三拾両

是者内藤新宿並甲府柳町へ貫目改所出来に付、右為二御手当一壱ヶ所へ拾五両宛被二下置一候積り。

一、米四拾弐石四斗八升

金弐百四拾弐両三分永百三拾文

是者五街道宿々、年々為二見廻一被二差遣一御普請役評定所書役之内、壱年弐人宛四年にて都合八人、壱ヶ年之內凡半年旅御扶持方諸雜用等之分。

外

金 弐百五拾両

是者諸大名参勤交代之節、為二取締一品川、板橋、千住、内藤新宿へ御勘定方被二差遣一候に付正月より八月まで右四ヶ所へ御勘定方罷出候延日数弐百五(十)日、但一日御手当金平均壱両づつ之積り。

金 六拾四両壱分永百六拾弐文五分

是者前同断御勘定方へ差添被レ遣候御普請役評定所書役之内御手当凡積り。

都合 米 四拾弐石四斗八升

   金 四百八拾壱両永八文九分

右者此度五街道貫目改所建広、並秤御買上代、其外御入用凡積書面之通御座候。以上。

   文政四年巳十二月           道中筋御取締掛」