中年寄、添年寄の制

578 ~ 580

 名主を廃するとともに、それに代るものとして中年寄と添年寄を設けた。なお、中年寄の中に世話掛と世話掛肝煎(きもいり)とをおいた。世話掛は旧の各番組の世話掛名主に相当し、世話掛肝煎は旧の町年寄に相当するものである。次いで各所の家主に代って、町内公務を扱うものとして町(ちょう)年寄を設けた。

すべて東京府から任命されたもので、名主は世襲の例が破られた。

「                  高輪町元名主

                      権左衛門

                          外四十六名

其方共一同中年寄申付、勤中苗字差免ス。

 但、給料渡方ノ儀ハ追テ可二申渡一間、其旨可レ存。

  巳(明治二年)三月十一日申渡

「                村松町名主源六父

                     為溪

                      外二人

其方共当分ノ内中年寄申附、勤中苗字差免ス。

 但、給料渡方ノ儀ハ追テ可二申渡一間、其旨可レ存。

  巳三月十一日申渡            」

「                 中年寄

                    長沢次郎太郎 星野又右衛門

                    馬込勘解由  片岡仁左衛門

                    島田藤一   小西喜左衛門

                    夏目小兵衛  矢部与助

 其方共世話掛申付ル。

   巳三月十一日

「                  中年寄

                     村松為溪 村田又夢

 其方共世話掛肝煎申付ル。

   巳三月十一日                    」

 前記諸年寄の発令がいずれも明治二年三月十一日付になっており、名主制廃止の三月十日に対して、きわめて迅速に行なわれたことがわかる。