名主を廃するとともに、それに代るものとして中年寄と添年寄を設けた。なお、中年寄の中に世話掛と世話掛肝煎(きもいり)とをおいた。世話掛は旧の各番組の世話掛名主に相当し、世話掛肝煎は旧の町年寄に相当するものである。次いで各所の家主に代って、町内公務を扱うものとして町(ちょう)年寄を設けた。
すべて東京府から任命されたもので、名主は世襲の例が破られた。
「 高輪町元名主
権左衛門
外四十六名
其方共一同中年寄申付、勤中苗字差免ス。
但、給料渡方ノ儀ハ追テ可二申渡一間、其旨可レ存。
巳(明治二年)三月十一日申渡
「 村松町名主源六父
為溪
外二人
其方共当分ノ内中年寄申附、勤中苗字差免ス。
但、給料渡方ノ儀ハ追テ可二申渡一間、其旨可レ存。
巳三月十一日申渡 」
「 中年寄
長沢次郎太郎 星野又右衛門
馬込勘解由 片岡仁左衛門
島田藤一 小西喜左衛門
夏目小兵衛 矢部与助
其方共世話掛申付ル。
巳三月十一日
「 中年寄
村松為溪 村田又夢
其方共世話掛肝煎申付ル。
巳三月十一日 」
前記諸年寄の発令がいずれも明治二年三月十一日付になっており、名主制廃止の三月十日に対して、きわめて迅速に行なわれたことがわかる。