地方自治制度が昔の名主制から年寄制に、さらに大区・小区制による戸長制と変遷してきたが、一方府民の治安方面はどうであったかというと、明治四年十月、東京府下取り締りのため邏卒三千人をおくことになった。従来は府兵と称されるものがこの取り締りに当てられていた。この府兵は幾つかの藩から兵を出させ、それを東京府に付属させたものであったが、廃藩置県の結果、この制度は廃止され、邏卒制度によって府下の取り締りをすることになった。
これによると、前記府下六大区の各大区ごとに、取締所一か所、邏卒総長一人と差添役四人を置くことになっており、総長の職務は「管下ノ組頭以下総体取締組ヲ指揮シ、其ノ怠惰ヲ督シ、取締ノ規則ヲ施行シ、区内ヲシテ安全ナラシムベキコト」とあって警察事務が本務であるが、各大区の区政にも常務掛という職名で兼務を命ぜられていた。この大区常務掛の仕事は、戸長の進達する書類を検査するということになっている。
しかし明治五年五月に邏卒総長、同権総長、同検官、同権検官、区長(現在の特別区の区長とは別)権区長を置くこととなったが、これによって先の区政(常務掛として)に関する兼務が免除され、警察事務一本となった。
次いで同年八月二十三日、邏卒は東京府庁から離れて司法省管轄となったので、総長や区長は市政にまったく関係がなくなった。この邏卒総長や区長は警察署長の前身に当り、身分も官吏であるが、総長、とくに区長という呼称が当時の記録に出てくるために、今日の区長の前身と間違える場合が多い。
今日の区長の前身は、大区御用掛、戸長世話掛であって、大区、小区の設けられた時、各大区に配置されて、はじめ調役(しらべやく)と称していたが、前記邏卒総長、同権総長、区長、権区長などが置かれた時、大区御用掛または大区詰御用掛と改称され、さらに戸長世話掛となった。この戸長世話掛が明治六年十二月になって、この名称を廃して、全国一般の例にならい区長と改称することになった。