右によって東京府では区画改正の案を練った結果、明治十一年十一月に至って(東京府達第四十九号明治十一年十一月二日布達による)区画名称が決定され、旧朱引内に麹町区以下左の十五区、
すなわち
麹町区・神田区・日本橋区・京橋区・芝区・麻布区・赤坂区・四谷区・牛込区・小石川区、本郷区・下谷区・浅草区・本所区・深川区
旧朱引外に
荏原郡・東多摩郡・南豊島郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡
の六郡が置かれた。
郡の方は編制法に定められているところにより、名称も区画も昔からのものをのこし、荏原郡はそのまま、豊島郡は中央部が十五区となったので南北二郡とし、多摩郡は東京府に属した部分を東多摩郡とし、足立郡と葛飾郡とは、東京府に属した分を、それぞれ南足立郡、南葛飾郡とした。
なお東多摩郡・南豊島郡両郡は、明治二十九年合併して豊多摩郡となり、西多摩・北多摩・南多摩の三郡は明治二十六年四月神奈川県から東京府へ移管された。この移管の動機について明治十八年『渡辺府知事管内巡回記』によれば、概略次のような理由をあげている。
「そのおもなるものは上水道の問題であって、東京の市民が毎日使う水を多摩川に仰いでいながら、多摩川の上流地域が神奈川県管轄なので、上流で不衛生なことがあっても東京府の警察権が及ばず、しばしば問題を生じて、多摩沿岸を含む西多摩・北多摩を東京府下に編入せよとの要望が強まっていたおり、たまたま明治十九年コレラ流行の際に、多摩川上流における汚物投入事件が拍車となり、さらに明治二十二年四月の甲武鉄道開通(新宿・八王子)に影響され、三多摩の一部住民の反対を押しきって、南多摩を含めた三多摩地方はそっくり東京府へ編入替えされたのである。」
明治十一年十一月二日東京府布達で、区役所・郡役所の位置が定められ、四日に開庁された。
「今般区郡制定ニ付テハ、右区郡役所左ノ場所へ設置、来ル四日開庁事務取扱候条、此旨布達候事。
麹町区役所 麹町区隼町八番地
神田区役所 小川町壱番地 小川女学校跡
日本橋区役所 岩代町一番地旧区務所
京橋区役所 築地一丁目四番地旧区務所
芝区役所 芝公園地大門通安養寺
麻布区役所 麻布宮村町三十七番地旧区務所
赤坂区役所 赤坂表三丁目五番地
四谷区役所 四谷伝馬町一丁目廿一番地旧区務所
牛込区役所 神楽町三丁目三番地
小石川区役所 小石川表町廿三番地
本郷区役所 湯島切通町八番地根生院
下谷区役所 上野公園地内下寺通修禅院
浅草区役所 浅草諏訪町四番地旧区務所
本所区役所 元町廿三番地旧区務所
深川区役所 深川伊勢崎町二十二番地
荏原郡役所 北品川宿百七十七番地
東多摩郡役所 内藤新宿二丁目二十八番地
南豊島郡役所 ○十一月八日中野村百十二番地ニ移ス
北豊島郡役所 下板橋宿六十八番地
南足立郡役所 千住宿北組十五番地
南葛飾郡役所 西小松川村百五十八番地
区役所・郡役所は番組時代の事務取扱所、大小区時代の小区の扱所、明治九年扱所が区務所と改められ、所名はつぎつぎと変わり、大小の差はあるが、一連の系統を引いてきたといえる。
明治十三年二月出版の「東京切絵図」(日比谷図書館蔵)に南足立郡の図があり、郡制施行当初を知る参考になるので掲載する。ただしこの地図には多少間違いがある。すなわち、
1 舎人村がない。これは明治八年十一月完全に埼玉県から東京都に移管されているので、この図作成時には当然記入されるべきである。
2 地名の間違いが多い。
伊東谷入会は伊藤谷入会、加久は加加皿沼の誤りである。(図版はこの地図を模写したもの)
参考となる点は、
1 荒川(放水路)がないので、それ以前の足立を知るに便利である。
2 入会地、飛地が明瞭にしるされている。
3 旧街道(陸羽街道、陸前浜街道など)がはっきりしている。
4 群・区制実施と時を移さず作成された点、当時としては先見であり、便宜も十分得られたと考えられる。
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区長、郡長も直ちに任命されたが、従来の大区の区長中から任命された者もあるが、他の多くは新任区長で、大区・小区制時代の区長が名主出身であったのとかわり、華族、士族などが多かった。また身分も官吏となった。
「任東京府 浅草区長 従五位 池田徳潤
任同 神田区長 従五位沢簡徳
任同 本所区長 大蔵一等属設楽謙堂
任同 小石川区長 東京府一等属内藤耻叟
任同 深川区長 従六位大木良房
任同 本郷区長 正七位加藤治幹
任同 牛込区長 秋山則白
任同 麻布区長 前田利充
任同 下谷区長 宮木経吉
任同 芝区長 相原安次郎
任同 日本橋区長 館興敬
任同 麹町区長 矢部常行
任同 四谷区長 渡部清
右本日宣下相成候条、各其区内無レ洩可レ及二通達一此旨相達候事(赤坂区は一時欠員)
郡長については明治官員録(明治十一年十月二十三日御届/明治十二年九月一日出版)によると次のとおりである。(足立区千住図書館藏)
「東京府 荏原郡長 林交周
同 東多摩郡長 梅田義信
同 南豊島郡長 本橋寛成
同 北豊島郡長 稲葉光明
同 南足立郡長 森長義
同 南葛飾郡長 伊志田友方」
なお右官員録に当時(明治十二年)の官等および月給が示されており、それによって知事や区長・郡長などの待遇・地位がうかがわれる。
○官等および月給表
自一等 至三等勅任、自四等 至七等奏任、自八等 至十七等 判任
一等 ○太政大臣 金八百円
○左右大臣 金六百円
○参議 ○正・副総裁 ○長官・副長官 ○正・副議長 ○幹事 ○議官 ○卿 ○大将金五百円
二等 金四百円 ○大輔 ○中将 ○特命全権公使 ○尚侍 ○次官
三等 金三百円 ○大警視 ○少将 ○軍医総監 ○検事長
四等 金二百円 ○知事、県令 ○大佐 ○代理公使 ○大書記官など
五等 金百五十円 六等金百円 七等八十円 ○東京十五区長該当八等金六十円
九等 金五十円○東京府各郡長該当 十等金四十五円十一等金四十円 十二等金三十五円 十三等 金三十円 十四等金二十五円十五等金二十円十六等金十五円 十七等金十二円となっている。