明治二十一年四月十七日、市制町村制が公布された(都史紀要による)。郡・区制がしかれてから十年めにあたるが、この間地方自治の体制はいちおう整えられたとはいっても、まだ不完全なものであった。市制町村制の実施はこれを是正し、地方自治区の整備、組織の充実、しいては将来立憲制が施行されたときの基礎工作と見ることができる。
この制度は翌明治二十二年五月一日東京府令第二十四号で十五区に市制(東京市)を、荏原・東多摩・南豊島(東多摩と南豊島の両郡は合併してのち、豊多摩となる、別掲)・北豊島・南足立・南葛飾の六郡の町村に町村制を施行する旨を公告し、府令第二十五号をもって管下区町村の区域名称を変更し、実施となった。
わが足立区においても、当時千住町ほか四十一か村が統合され、左の一町八か村が誕生し、新町村名のもとに、この新制度にのっとって自治活動にはいったわけである。
千住町 千住中組・千住北組合併
西新井村 本木村・興野村・西新井村合併
梅島村 梅田村・島根村・栗原村・小右衛門新田合併
江北村 沼田村・鹿浜村・鹿浜新田・加々皿沼村、高野村・谷在家村・宮城村・小台村・堀之内村合併
綾瀬村 次郎左衛門新田・弥五郎新田・五兵衛新田・伊藤谷村合併
東淵江村 佐野新田・北三谷村・蒲原村・大谷田村・普賢寺村・長右衛門新田合併
花畑村 花又村・六ツ木村・久左衛門新田・長左衛門新田・久右衛門新田・加兵衛新田・内匠新田・辰沼新田合併
淵江村 保木間村・六月村・竹塚村・伊興村合併
舎人村 入谷村・古千谷村・舎人村合併
右のうち伊興は二年後の明治二十四年四月一日淵江村から独立し、伊興村となったので、南足立郡は一町九か村となった。なおのちのことになるが、昭和三年には、西新井・梅島両村が町制をしいたので、足立区成立までの間、南足立郡は三町七か村であった。これらの町村変遷については、第六章各町村沿革の項にくわしく記述してある。