このようにして、問題は一歩一歩市郡併合の気運に近づいていったのではあるが、併合の地域について、町村は挙郡併合の結束を固めているにもかかわらず、市側では大併合論と小併合論との対立があり、前途は楽観を許さない状態にあった。
すなわち編入区域についての臨時市域拡張部作製の案をみると、四案六種に区別されて、第一案(イ)としては
荏原郡 品川町、大崎町
豊多摩郡 渋谷町、千駄ヶ谷町、淀橋町、大久保町、戸塚町
北豊島郡 高田町、巣鴨町、西巣鴨町、滝野川町、日暮里町、南千住町
南葛飾郡 吾嬬町、寺島町、亀戸町、大島町、砂町
の十八か町があげられており、同案(ロ)として、荏原郡に目黒町、豊多摩郡に代々幡町、北豊島郡に三河島町、南葛飾郡に隅田町を加えた二十二か町をあげている。第二案には豊多摩郡に中野町、落合町、北豊島郡に板橋町、王子町、尾久町、南葛飾郡に小松川町を加え、南足立郡では千住町だけがあげられている。第三案には、荏原郡に大森町、入新井町、大井町、荏原町を、北豊島郡に長崎町が加えられ、南葛飾郡の南綾瀬町と本郡の千住町、西新井町、江北村、綾瀬村のうち、荒川以南の区域があげられている。第四案(イ)は大区城案であって、隣接五郡八十二か町村全部を包括する区域があげられ、第四案の(ロ)として、これに北多摩郡の砧村と千歳村とを加えた区域があげられている。
このように本郡は第一案の(イ)(ロ)にはもちろん、第二案第三案にも全郡併合の計画からはずされていたので、本郡各町村代表者が東京市長と会見した際にも、矢萩江北村長は「東京市は本郡の中、荒川放水路(現荒川)以南の地域のみを併合されるような事があれば、これは容易ならぬ問題であると思う。小なりと雖も元来利害関係の一致している所ではあり、思想上よりいうも離るべからざる関係にあるので、何卒南足立郡全部を東京市の編入区域となされたい。これは一般住民の希望である。云々」と全郡併合希望の意見を述べている。
一方、東京市十五区の区会議長会は、併合問題調査委員会を設けて数回の会合を重ね、五郡併合には反対の態度を明らかにした左の決議を行なった。
「 決議
目下東京市ニ於テ調査中ノ東京市地域拡張ニ関スル件付隣接二十二ヶ町以内ノ併合ハ之ヲ可トスルモ所謂五群全部ノ併合ハ現在東京市民ノ負担ヲ過重ナラシメ且将来ニ禍根ヲ残シ市政ノ運用上ニ甚シキ支障ヲ来スノ虞アルモノト認ムルヲ以テ絶対之ニ反対ス
昭和六年十二月
東京市区会議長会」
またこれに刺激された東京市各区の本問題に対する態度も混沌(こんとん)たるものがあり、賛否の決議をしなかった二、三の区を除いて、多くの区は五郡併合に反対し、「五郡併合反対各区連合会」を設け、次の決議を行ない、反対運動を開始した。
「 決議
目下貴局ニ於テ計画中ノ五郡併合ニ依ル東京市地域拡張ハ市財政並諸施設ノ現状ニ鑑ミ現市民ノ負担ヲ過重ナラシメ且自治ノ根幹ヲ破壊スルノ甚シキモノト認ム仍テ絶対之ニ反対ス
昭和七年五月十三日
五郡併合反対各区聯合会 」
こえて十七日には、五郡併合反対各区連合会主催の市民大会が日比谷公会堂で開催され、左の決議を行なうなど大併合論に対する反対は非常に熾烈(しれつ)なものがあった。
「 決議
目下当局ニ於テ計画中ノ五郡併合ニ依ル東京市地域拡張ハ市財政並諸施設ノ現状ニ鑑ミ現市民の負担ヲ過重ナラシメ且市自治ノ根幹ヲ破壊スルノ甚シキモノト認ム仍テ絶対之ニ反対ス
右決議ス
昭和七年五月十七日
五郡併合反対市民大会 」