このような状況の中で、東京府知事は五郡八十か町村の地域合併を断行するため、内務大臣と折衝を開始した。かくて五月十日、内務大臣の内諾を得て、併合問題は急速に具体化し、東京府知事からは、各町村会に対し、市郡併合に関する諮問(しもん)が発せられた。
「甲地発第一七二号
郡 町( 村)会
昭和七年十月一日ヨリ其ノ町(村)ヲ廃シ東京市ニ編入シ之ニ伴フ財産処分左ノ通定メムトス仍テ其ノ会ノ意見ヲ諮フ
右昭和七年五月十七日迄ニ答申スベシ
昭和七年五月十一日
東京府知事 藤沼庄平
記
其ノ町村有財産及負債ハ昭和七年九月三十日ノ現在ニ基キ左ノ通帰属セシメムトス
(一)新ニ市トナル区域ニ学区ヲ設ケ左記財産ハ之ヲ其ノ町村ノ区域ノ属スル学区ニ帰属ス
(1)、小学校、実業補習学校及教員住宅ニ関スル財産
(2)、小学校基本財産、奨学資金、其ノ他小学校、実業補習学校ニ関スル各種ノ財産
(二)新ニ市トナル区域ニ区ヲ設ケ左記財産ハ之ヲ其ノ町村ノ区域ノ属スル区ニ帰属ス
(1)、公会堂(之ニ類スルモノヲ含ム)ニ関スル財産及公会堂建設資金
(2)、罹災救助資金其ノ他ノ救恤ニ関スル各種ノ財産
(三) 前二項以外財産及負債ハ、全部東京市ニ帰属ス 」
これに対して本郡の町村では、舎人村、花畑村が十四日に、綾瀬村、淵江村が十五日に、千住町、西新井町、江北村、東淵江村、伊興村が十六日に、梅島町が十七日にそれぞれ次のような答申書を提出した。
「 答申書
昭和七年五月十一日甲地発第一七二号御諮問相成候本町(村)ヲ廃シ其ノ区域ヲ東京市ニ編入シ之ニ伴フ財産処分ノ件ハ御諮問ノ通り異存無之此段及答申候也
昭和七年五月 日
町(村)会議長
東京府知事 藤沼庄平殿 」
市町村の答申が出そろうのを待って、東京府知事は左記告示をし、市郡併合問題に終止符を打った。
「東京府告示第三一〇号
左記町村ヲシテ其ノ区域ヲ東京市ニ編入シ昭和七年十月一日ヨリ之ヲ施行ス
昭和七年五月二十四日
東京府知事 藤沼庄平
記
一、南足立郡 千住町、西新井町、江北村、舎人村、梅島町、綾瀬村、東淵江村、花畑村、淵江村、伊興村(荏原郡、豊多摩郡、北豊島郡、南葛飾郡は略す) 」
「東京府告示第三一一号
荏原郡品川町外八十一箇町村ヲ廃シテ其ノ区域ヲ東京市ニ編入スルニ付之ニ伴フ東京市ノ区ノ設置左ノ通定メ昭和七年十月一日ヨリ之ヲ施行ス
昭和七年五月二十四日
東京府知事 藤沼庄平
記
一、足立区南足立郡千住町、西新井町、江北村、舎人村、梅島町、綾瀬村、東淵江村、花畑村、淵江村、伊興村ノ地域ヲ以テ新ニ足立区ヲ置ク
(品川区、目黒区、荏原区、大森区、蒲田区、世田谷区、渋谷区、淀橋区、中野区、杉並区、豊島区、滝野川区、荒川区、王子区、板橋区、向島区、城東区、葛飾区、江戸川区は略す) 」
東京府告示第三一一号によって新たに設けられた二十区の区役所事務を開始するにあたり、本区は旧南足立郡役所の庁舎をこれにあてることが告示された。
「東京市告示第三百六十一号
市会ノ議決ヲ経新設区ノ区役所位置ヲ当分ノ内左ノ通定メ昭和七年十月一日ヨリ開庁ス
昭和七年九月三十日
東京市長 永田秀次郎
区名 位置
足立区役所 南足立郡千住町本町一丁目五十番地 」