足立の地名は古く『倭名抄』にみえ、同書郡の下に「足立」を訓じて「阿太知」と注をしている。足立は仮借文字であり、その名義は不明である。また足立を「葦立の義」と解釈する説もあり、『日本地理志料』に「郡多二池沼一芦葦叢生、蓋芦立之義」といっているが、その名の由来は詳(つまびら)かでない。しかし『倭名抄』以前、聖武天皇の天平時代(七二九一七四八)、各国に国分寺、国分尼寺を建立した際、武蔵国分寺造営に足立郡から瓦献進の証拠もあり、『日本紀』にも
神護景雲元年十二月壬午武蔵国足立郡人外従五位下丈部直不破麻呂等六人、賜レ姓二武蔵宿弥一、同月為二武蔵国造一
とあるので『倭名抄』以前から足立郡名が用いられたことは明らかである。その後延暦十四年(七九五)十二月、その一族足立郡大領外従五位下武蔵宿弥弟総が国造に任ぜられたことが『類聚国史』によって知られる。なお国分寺献進瓦のこと、および国造については第三章古代社会の足立に述べてある。
「足立」の地名については、大化改新により国郡の制がしかれて以来、知々夫、牟邪志の二国が合して武蔵の一国となり、域内が二十一管(郡とほぼ同義)に分けられたことは、「延喜式」に明らかであり、のち二十一郡から二十二郡に改められ、明治時代に及んでいる。足立の変遷を知るとともに、関係の深い葛飾、豊島、多摩などについても概略がわかるように、『読史備要』より、武蔵国の郡沿革一覧と、『延喜式神名帳』にも「足立」の地名が用いられているので、あわせて記録する。
備考 (続)…続日記、(図)…諸国古写図、(元)…元禄天保国高比較帳
(知)…寛知集、(東)…東鑑、(旧)…旧事紀
(万)…万葉集、(続後)…続日本後記
延喜式神名帳関八州の各国一の宮
伊豆国加茂郡大山祇命 三島大明神
武蔵国足立郡素盞鳴尊 氷川大明神
上総国垣生郡埼玉命 玉前大明神
上野国甘楽郡経津主命 抜降大明神
相模国高座郡応仁天皇 寒河大明神
常陸国鹿島郡建御雷命 鹿島大明神
安房国安房郡天太玉命 洲崎大明神
下総国香取郡絰津主命 香取大明神
右の八社があり、また延喜式内の武蔵国にあるもの大社二座、小社四十二座と記され、足立郡に氷川の大社および調、足立、多気比売の三小社があり、その多くは今の東京近郊にあるが、小社についてはその所在を明らかにしていない。