四 梅島村

701 ~ 705

 本村は梅田、島根、栗原、小右衛門新田の四字より成り、以前はおのおの分立した一村であったが、明治二十二年五月、市制町村制実施に際して併合、村制をしき、越えて、昭和三年十一月一日町制をしいた。

 梅田は、もと源義家の孫、六条判官為義の三男、志田先生(せんじょう)義広がこの地に住み、明王院を建立し、五世の孫常陸介久広が天満宮をここに勧請して、境内に梅林を造り、氏を梅田と改めてから、この地も梅田と称したという。

 島根は村内に島畑が多いところから、島畑村と称したのを、のち、世人が誤って島根村と称したというが、応永二十年(一四一三)足利将軍家の文書の写(大宮領高鼻村氷川神社神主岩井伊予の所蔵)に「足立郡島根村の内社領に寄付云々」と見えるから、島畑村の呼名もどうかわからない。なお応永(一三九四-)のころは千葉太郎の所領であったという。

 島畑とは水田中に陸田を設け、その様子があたかも島のようだったからである。往昔は海の一部で、砂洲からしだいに形成されたものと思われる。

 小右衛門新田は、昔渡辺小右衛門という者が、はじめ岩槻の太田氏に仕えたが、江戸時代にはいって、岩槻の城主高力河内守の家人となり、元和二年(一六一六)故あって、この地にきてはじめてこの地を開いたので、この名があるという。正保年中(一六四四-)改定図にはこの新田が載ってないので、そのころは他村のうちに属し、元禄八年(一六九五)の検地から一村となったものと思われる。

 栗原は古くから徳川氏の所領であり、検地は元禄十五年(一七〇二)とあるが、その開拓の史料がない。

いずれも明治維新まで徳川氏の所領であったが、明治元年武蔵知県事支配となり、明治二年小菅県の管轄に属し、明治四年東京府の管轄(第五大区十九小区、のちに第十大区五小区)となり、明治十一年十一月、南足立郡に編入された。

 明治二十二年五月、村制施行後昭和三年十一月一日町制実施、同七年十月市域拡張の際東京市足立区に編入され、次のように町名が改称され、昭和十八年七月、都制施行とともに東京都足立区の区域内となった。

  梅島村の大字

 梅田(旧小名、横町、長島耕地、中沼、亀田、水久田、郷ブ、榎戸)

 島根(旧小名、西、東、大道)

 小右衛門新田(旧小名、丁張耕地、平野耕地)

 栗原(旧小名、栗原厨子、石塚厨子、満願寺厨子、新田厨子、新田、花見堂、鐘打道、丁張、八幡前、原島、平野、寺家分)

 次の地域を合併して南足立郡梅島村とした。

 栗原村 字町張耕地のうち 二四六〇~二四七六、二四七九~二五〇三を除く。

 梅田村

 島根村 字道海東耕地のうち 一八八八、一八八九、二〇〇四、二五〇〇、字六月前耕地のうち、二四四六、二四四七、字精出耕地ノうち 一六五一を除く。

 小右衛門新田字村廻耕地のうち 四五四、四五五を除く。

 千住二丁目の飛地、字槐戸耕地、千住五丁目の飛地、字槐戸耕地のうち 九八八~一〇八一。

 本木村の飛地、字町張耕地のうち 二三一〇~三三三二。

 興野村の飛地、字水久田耕地 一二六四~一三四九、字町張耕地のうち 一三五〇~一三五三、一五五七~一五六一。

 西新井村の飛地、字飛地耕地のうち 一八九〇~一九三八、一九六五~一九七一。

 竹塚村の飛地字新川添耕地のうち 二一二二、二一二三。

 保木間村の飛地字二ツ家耕地のうち 四四四三、四四四一、四四四二、四四七二~四四七七。

 六月村の飛地字原島耕地のうち 一一二九、一一三〇。

 次郎左衛新田の飛地、字精出耕地のうち 二三五。

 弥五郎新田の飛地、字精出耕地のうち 二一七八~二二〇四。

 昭和七年十月、足立区編入後の町名は次のとおりである。

 梅田町 千住大川町の北にあり、梅島町大字梅田の地であって、小字に榎戸、郷府、亀田耕地、水久田耕地、長島耕地、村内、川田耕地、小野羅耕地、中沼耕地、槐戸(さいかちど)耕地があった。南に荒川がある。

 栗原町 梅田町の北西にあり、旧梅島町大字栗原の地で、小字に花見堂耕地、梅田井堀北耕地、梅田井堀南、鉦打耕地、道切耕地、丼、島根、井堀北などがあった。

 東栗原町 昭和九年四月一日、島根町内の栗原町東部の飛地を本町とした。市域拡張前の梅島町大字栗原のうち、字、平野、栗原、新川耕地、丁張耕地等の地である。

 島根町 栗原町の東にあり、梅島町大字島根の地であって、小字に大道内北耕地、大道内南耕地、水久田耕地、大原耕地、大道東南耕地、道切耕地、精出耕地、丁張耕地、海道東耕地等があった。本町内には栗原町、小右衛門町等の飛地が多数あり、昭和二十年三月十日区域変更により、小右衛門町四五二、千住栄町五の二より六の三までを島根町と改めた。町の中央を国道四号線が南北に貫いている。

 東島根町 昭和九年四月一日、島根町のうち(東部飛地)小右衛門町以東の地を本町とした。市域拡張前の梅島町大字島根のうち海道耕地、精出耕地、丁張耕地、海道東耕地等の地である。

 小右衛門町 千住栄町の北、島根町に介在する梅島町大字小右衛門新田の地である。

 梅島町 昭和二十年三月十日、(東京都告示、第百十一号、昭和二十年三月一日、東京都長官西尾寿造および「町名変更再告示、昭和二十二年十一月十一日、区長大山雅二」)町名変更が実施され、千住栄町一から五の一までの一部、島根町八六一から八六九の一までと二六七五の一部、千住弥生町一から三九の二までの一部、梅田町一八〇二から二〇〇九の一までの一部の区域は梅島町と改称された。