21 吉祥院 本木西町一七の一にあり、真言宗豊山派で、淵江山星谷寺と号する。正応元年(一二八八)の創建、開山は図真、本尊は大日如来。もと山城国仁和寺の末寺であったが、明治四十四年十一月、大和国長谷寺の末寺となった。当山は江戸四か寺(吉祥院、根生院、弥勒(みろく)寺、真福寺)の一つであって、真言宗関東の役寺として、江戸時代の盛時には、寺地約三二、〇〇〇平方メートル、三十三か寺の末寺を有していた。現在の本堂は文政十一年(一八二八)の再建で、寺門は寛保二年(一七四二)の建築といわれる。戦時中供出して今はないが、天明三年(一七八三)十月、近江大椽(だいじょう)藤原正邑作の鐘銘によれば、本寺は家康鷹狩のおりお目にとまり、御朱印を賜わり、諸寺の司となさしめたとある。寺宝に寛保元年(一七四一)十二月、宝鏡院宮御染筆の「淵江山」なる扁額があり、また延享三年(一七四六)十月の宝篋印塔がある。墓地から正応元年(一二八八)嘉元三年(一三〇五)正中二年(一三二五)応安元年(一三六八)の板碑が出た。荒川辺八十八か所の第三十番札所にあたる。
22 宝寿院 本木東町二七の一にあり、真言宗豊山派で、恵日山妙尊寺と号する。応永元年(一三九四)の創建、開山は賢長、本尊は不動明王である。もと吉祥院の末寺であったが、昭和十四年十月十八日、豊山派総本山長谷寺の直末となった。寺門は寛永年間(一六二四-一六四三)の建築といわれ、本堂は大正七年の再建である。当院はもと千葉氏一族の祈願所で、荒川辺八十八か所の第三十四番の札所にあたる。当院墓地に元和二年(一六一六)七月の五輪塔、寛永四年(一六二七)の墓碑がある。
23 光輪寺 本木町一丁目二七一にあり、新義真言宗、吉祥院末寺で、吹塚山と号する。貞治三年(一三六四)の創建、本尊は観世音で吉祥院住職の隠居寺であった。荒川辺八十八か所の第三十二番の札所にあたり、寛永年間(一六二四-一六四三)の墓碑、寛文九年(一六六九)九月十八日の庚申塔がある。
24 瑞応寺 本木町四丁目五二二二にあり、真言宗豊山派で、吉祥院末寺、阿修羅山観音院と号する。明応七年(一四九八)の創建で、本尊は夕顔観音である。今次の戦災で焼失し、現在はほとんど廃寺に近いが、むかしは相当の大伽藍であったという。荒川辺八十八か所の第二十九番の札所にあたる。応永二十三年(一四一六)明応七年(一四九八)の板碑が出た。また文化七年(一八一〇)二月の供養普門品塔がある。
25 善覚寺跡 本木町三丁目二七〇八にあったという。真言宗で西新井総持寺の末寺、菅原山善覚寺(又は善学寺)と号した。江戸六阿陀の一番で、いわゆる元木の阿弥陀仏を安置していたので、本木の地名はこれより起こったという。当寺は豊島郡の西福寺に移され、今は廃寺となっている。
26 大聖寺(関原不動) 本木町二丁目一一四二にあり、真言宗豊山派で、関原山不動院と号し、もと吉祥院の末寺であった。文明四年(一四七二)の創建で、本尊は不動明王、良弁作と伝えられる。当寺の縁起については伝説の部「本木の起こり」を参照されたい。現在の堂宇は嘉永元年(一八四八)五月、深川木場講中が材木その他を寄進して落成したもので、西新井大師に次ぐ大伽藍である。当山は眼病に効験ありと知られ、堂前の大提灯(ちょうちん)は八代目団十郎が眼病平癒に奉納したものという。当寺には慶応元年(一八六五)の大般若経六百巻があり、毎年転読が行なわれる。毎月、九日、十八日、二十八日に縁日が立ち、ことに正月、五月、九月はにぎやかである。また万治三年(一六六〇)の墓碑、寛文元年(一六六一)の庚申塔、天保七年(一八三六)の天水桶一対がある。荒川辺八十八か所の第四十一番の札所にあたる。
24 善応寺 興野町一一〇九にあり、真言宗豊山派で、貞治二年(一三六三)の創建といわれ、開山は寛朝上人、瑠璃(るり)光山薬王院と号する。もと吉祥院の末寺であったが、昭和十四年十月、長谷寺の直末となった。本尊は聖観世音で、外に行基作と伝えられる薬師像を安置する。境内に四国八十八か所の本尊を模刻した石仏があり、元治元年(一八六四)のものという。現在の本堂は昭和四十年に改築された鉄筋コンクリート造りの壮麗なもので、境内の大師堂は慶長二年(一五九七)の建築といわれる。当寺から応永八年(一四〇一)応永二十年(一四一三)、その他たくさんの板碑が出た。また寛永十一年(一六三四)九月二十七日の地蔵像、寛保元年(一七四一)七月三日の宝篋印塔がある。荒川辺八十八か所の第三十六番の札所にあたる。
28 専念寺 本木町二丁目二一三二にあり、真宗本願寺派で、本尊は阿弥陀如来。現在若草幼稚園を経営している。
29 常唱庵 本木町二丁目二〇六一にあり、日蓮宗で、題目山と号する。本尊は日蓮上人像、応永年間(一三九四-一四二七)の創建で、区内谷在家本応寺の分寺である。現在の本堂は昭和四十年十二月に新築された。当庵から貞和四年(一三四八)延文五年(一三六〇)その他の板碑が出ている。