42 性翁寺 北宮城町一〇六一にあり、浄土宗で、竜燈山貞香院と号する。本尊は俗に木余り弥陀といわれる伝行基作の阿弥陀仏である。この本尊の由来については、当寺に明応元年(一四九二)六月、行蓮社正誉上人竜呑筆の「本尊彫刻之意趣」という縁起がある。この縁起の内容は、伝説の部「六阿弥陀の由来」にくわしい。墓地には前記縁起にまつわる足立姫の墓、姫の数珠から一夜に生じたという大菩提樹(だいぼだいじゅ)がある。また当寺には開基阿出川対馬守貞次をはじめとする阿出川家一族の墓がたくさんある。阿出川家は小田原北条氏の家臣で、この付近開発の功労者である。
43 恵明寺 下沼田町四二五にあり、もとは真言宗豊山派であったが今は単立寺、山城山延命院と号する。明治七年十二月、小台にあった甘露山応昧院延命寺が、当寺に合併された。堂宇は戦災で焼失し、現在の本堂はコンクリート造りである。本尊の阿弥陀仏は身長約〇・九メートル、木製の座像で、都文化財調査員稲村坦元氏によれば、平安末期から鎌倉初期のもので、都としても貴重な文化財であるといわれる。胴内に天文年間(一五三二-一五五四)修理の文字がみとめられる。当寺は江戸六阿弥陀の第二番で、荒川辺八十八か所の第二十三番の札所にあたる。
寺宝として、鳥羽僧正作の不動明王像掛軸、後白河法皇の宸翰(しんかん)、弘法大師像(絹地)などがある。
44 珠明院 小台二丁目四二の一六にあり、曹洞宗で、金龍山と号し、本尊は聖観世音である。開山は存廓大和尚、弘治元年(一五五五)十一月五日に示寂した。現在の堂宇は戦後建立されたもので、木造瓦葺きである。また聖徳太子堂は大正九年桐之谷にあった真長庵を、放水路工事のため当院に移転したものという。宝物に幅約二・七メートルの大涅槃(だいねはん)像の大掛軸がある。墓地に寛永二年(一六二五)、寛永十一年(一六三四)の墓碑、正徳二年(一七一二)の庚申塔がある。
45 本応寺 谷在家町五三八にあり、日蓮宗で長命山と号する。正応元年(一二八八)の創建で、開山は天目上人、開基は浅香藤九郎という。開山も当地の人で、藤九郎と叔姪(しゅくてつ)の俗縁があった。天目は日蓮の弟子中著名であり、延文元年(一三五六)四月二十六日に示寂した。本寺は草創以来、独立寺として栄えたが、第九世日領のころ、不受不施論の異流を唱え、断圧にあって廃絶した。五年ののち第十世日福が、中山法華寺に再興を懇願し、法華寺末に加えられた。現在の本堂は天正八年(一五八〇)ごろの建築で、また当寺の梵鐘は元文元年(一七三六)十一月の鋳造で、その音韻はすぐれて美しかったが、戦時に供出して今は存しない。本尊は聖観世音像で、江戸初期のものという。ほかに釈迦牟尼仏、多宝如来、日蓮大菩薩など多数の仏像がある。明治五年の学制発布前は、当寺に寺小屋が置かれていた。当山から康暦二年(一三八〇)九月八日、長禄二年(一四五八)四月十七日の板碑が出た。
46 慈眼寺 上沼田町一一三二にあり、真言宗豊山派で、光明山清観院と号する。本尊は如意輪観世音、元応二年(一三二〇)の創建で、開山は興源僧都、もと総持寺の末寺であった。境内から元応二年(一三二〇)、暦応三年(一三四〇)の板碑が出た。
47 薬王院 上沼田町一〇〇二にあり、真言宗豊山派で、瑠璃光山と号し、元禄年間(一六八八一一七〇三)の創建、本尊の薬師如来は春日の作という。開山乗禅法印は宝永三年(一七〇六)八月十一日に示寂した。もと総持寺の末寺であったが、昭和十四年十二月二十七日、長谷寺の直末となった。明治七年四月、当所に小学校が開設せられ、同二十年十一月沼田村熊ノ木に校舎が新築されるまで、教育の道場に当てられた。薬王院に隣接する北隣に旧家船津家の墓地がある。ここに江北五色桜の功労者、船津静作翁の墓がある。翁は昭和四年一月二十三日、七十一歳で没した。
48 地福寺 下沼田二〇一にあり、草堂山と号し、もと恵明寺の末寺であったが、今は単立寺である。本尊は地蔵菩薩、客尊として氷川神社の本地仏である十一面観世音を安置している。現本堂は昭和十三年二月の建築である。荒川辺八十八か所の第二十二番の札所にあたる。
49 不動院 北堀之内町七九四にあり、新義真言宗で、今は単立寺、覚王山二宮寺と号する。もとは恵明寺の末寺で、その隠居寺であった。本尊は不動明王。境内に山楠、山槇、八重椿などの老樹がある。また当院に朝比奈三郎義周(正徳三年(一七一三)没)の墓、元弘年中(一三三一-)の板碑がある。
50 宝蔵寺 北鹿浜町一七二六にあり、真言宗智山派で、医壺山福寿院と号する。本尊は薬師如来の木製の座像で、南北朝か室町初期の作といわれる。当山は弘安(一二七八-一二八七)年間の創建で、開山良算和尚は、正和元年(一三一二)十二月二十一日に示寂した。当山はもと荒川堤外にあったが、しばしばの水害を避けるため、寛保二年(一七四二)現在地に移り、寛延年間(一七四八-一七五〇)に堂宇が完成し、法燈を近隣に輝かしていた。しかし現在の堂宇は大正十四年に再建されたもので、往時の盛容は偲(しの)ぶべくもない。宝物として伝弘法大師作の琥珀(こはく)楊柳観世音像、伝行基作の木製の立像がある。なお当寺は、明治七年四月鹿浜小学校の仮校舎に当てられ、教育の道場になった。
51 長楽寺 北鹿浜町二〇五六にあり、真言宗智山派で、五智山と号し、もと宝蔵寺の末寺であった。延享年間(一七四四-一七四七)の創建で、開山を行厳といい、本尊は大日如来である。当寺の建築は大正二年といわれ、薬師堂の薬師像は聖徳太子の作と伝えられる。また文明七年(一四七五)の板碑が出た。
52 阿弥陀院 北鹿浜町三〇七〇にあり、真言宗智山派で、もと宝蔵寺の末寺であったが、今は単立寺、甘露山と号する。本尊の阿弥陀如来は、恵心僧都の作と伝えられる。寺宝に曼荼羅絵図一幅がある。寺域に寛文元年(一六六一)の庚申塔、元禄二年(一六八九)の墓碑がある。
53 清徳寺 北鹿浜町三四六六にあり、浄土宗で、本尊は阿弥陀仏。慶長十六年(一六一一)、両国矢の倉に創建され、開山は善覚という。正保元年(一六四四)浅草に移り、昭和八年四月十一日、当地に移転した。現在の本堂は昭和十五年十月二日の建立である。
54 永昌院 加賀皿沼町一八八にあり、もと天台宗であったが、現在は単立寺。本尊は阿弥陀如来ならびに不動明王。本堂は昭和八年の建築である。当院は修験山伏の伝統を継ぐ道場で、現在も不動教団を組織している。当院に元禄五年(一六九二)の墓碑がある。