64 応現寺 伊興町狭間六一二にあり、時宗で、西島山慈雲院と号する。藤沢市にある時宗総本山清浄光寺(別名遊行寺)の末寺である。当時は伊興村第一の古刹で、古くは天台宗であったが、永仁のころ(一二九三-一二九八)、遊行二世真教上人が巡化の際改宗し、遊行寺の末寺となった。本尊の阿弥陀三尊は恵心僧都の作といわれ、境内には樹令二百年以上の公孫樹がある。また境内に経塚があり、ここから経筒、六器、五鈷鈴(ごこれい)などともに、国宝に準ずる貴重な藤原時代の冑(かぶと)、そのほか平安時代の太刀、古銭などが出土した。また寺門は十七代覚阿上人が寛永十四年(一六三七)に建立したもので、四足造り、下谷広徳寺の門とともに、左甚五郎の作と伝えられる。なお当寺には承応三年(一六五四)の石燈籠一対、天文七年(一五三八)の板碑二基、永禄四年(一五六一)の板碑がある。
65 長勝寺 伊興町大境一七六一にあり、日蓮宗で寿福山と号し、本尊は日蓮上人奠定の大曼荼羅である。万治二年(一六五九)の創建で、開山は智勝院日座上人、開基は宮城清左衛門吉重という。日座は谷在家本応寺第十世日福上人の法弟、吉重は武人で当地に住し、子孫は代々名主をつとめた。本堂は瓦葺き、総檜造り、境内は樹木が繁り、樹令四百年以上の巨松がある。なお当時の領主千葉次郎勝胤の墓は、当寺の近傍の民家の裏に現存しているが、粗末なものである。
66 薬師寺 伊興町本町三六七八にあり、曹洞宗で、医王院と号する。もと浅草橋場、惣泉寺の末で、開山は粛洲厳和尚(万治二年八月九日示寂)、本尊は薬師如来、眼病に効験があるという。
67 真国寺 伊興本町三七一五にあり、日蓮宗で、本尊は釈迦牟尼仏、その脇に祖師の木像(日親の作という)を安置する。建武二年(一三三五)の創建といわれ、蓮栄山と号する。中興開山経蔵院日安上人は、延享元年(一七四四)四月十五日に示寂した。もと中山法華寺の末寺であった。宝物として立正大師像、鬼子母神像などがあり、本尊の祖師像については、『新篇武蔵風土記稿』に次のような記述がある。
「此の宗祖の儀は、応永三十二年二月春、日親上人堪忍力行御成就の砌り、御一代法花弘通無難之誓を込め、法花堂に於て、一刀三礼尊像疑ひ無き者也
慶長元年申十月十三日
十四世日院判
桜井嘉七に之を与ふ」
(応永三十二年は一四二五年に、慶長元年は一五九六年にあたる。)
なお当寺に享保十七年(一七三二)の墓碑がある。
68 実相院(子育観音) 伊興町本町三四六一にあり、真言宗豊山派で、宝光山(放光山とも記す)横沼寺と号し、西新井総持寺の末寺である。当院の縁起によれば、本尊聖観世音菩薩は、身長約二メートルの立像で、行基の作といわれ、子育観音として母乳不足に効験があるという。寛保四年(一七四四)二月、紀伊宰相宗将公から母乳が出るようになったお礼として、両界曼荼羅二幅の寄進があり、今も寺宝となっている。
69 源正寺 伊興町本町三〇九九にあり、真言宗豊山派で、無量山と号する。往古、ここは地蔵堂で玄性寺と称した。境内に、「南無阿弥陀仏 相阿弥陀仏 延徳三年六月三日」と刻した板碑があるので、もとは時宗の寺であったのが、源正寺に合わせられたものと思われる。中興開山真海は明暦二年(一六五六)十月十七日に示寂、本尊は地蔵菩薩、現在は長谷寺の末寺である。当寺から天文七年(一五三八)の板碑が出た。
70 福寿院 伊興町本町三〇〇九にあり、真言宗豊山派で、阿遮(あしや)山と号する。もと西新井総持寺の末寺で、本尊は不動明王、当院境内に朝比奈氏の石碑がある。碑面に、
「妙法心正院孝親禅定位、本国駿河、生国武蔵、朝比奈八右衛門藤原正清、寛文十二壬子三月二十八日」と刻してある。当院より弘治二年(一五五六)妙喜禅定尼の板碑が出た。
71 浄光寺 伊興町狭間七八三にあり、真宗であるが、今は単立寺、本願山と号する。開山は親鸞上人、本尊は阿弥陀仏である。
72 長安寺 伊興町狭間八四四にあり、真宗本願寺派で、龍華山と号する。開山は親鸞上人、開基は宗保、本尊は阿弥陀如来である。当寺に帝室技芸員彫刻家森鳳声の碑がある。
73 善久寺 伊興町狭間八四七にあり、真宗本願寺派で、馬頭山と号する。本尊の阿弥陀如来には、延享元年(一七四四)子八月十日法如上人御判がある。開山は親鸞上人、開基は了信という。当寺は昭和四年、築地から現地に移転したもので、宝物として親鸞上人、了信上人、聖徳太子御影、当寺縁起一巻などがある。また文政年間(一八一八-一八二九)における江戸の蘭学医、淀藩の人、南小柿甫裕の墓がある。
74 本行寺 伊興町狭間八四〇にあり、真宗本願寺派で、松賢山と号する。開山は親鸞上人、本尊は阿弥陀仏である。当寺は昭和六年十月二十九日、福井県から移転したものである。
75 易行院 伊興町狭間八七〇にあり、浄土宗で、自照山不退寺と号する。開山は易道和尚、本尊は阿弥陀仏である。当寺はもと浅草清川町にあったが、大正大震災後、当地に移転した。いわゆる「山谷の助六寺」である。承応二年(一六五三)二月十一日に没した侠客助六の墓は、揚巻の墓とともにこの地に移されている。
76 常福寺 伊興町狭間八五四にあり、真宗大谷派で、仏名山玉川院と号する。本尊は阿弥陀仏、当寺の境内から古墳時代の祭祀関係の遺物が出土した。
77 東陽寺 伊興町狭間八八七にあり、曹洞宗で今は単立寺、万年山と号する。開山は勅特賜大峰仏雄禅師、本尊は釈迦牟尼仏である。もと浅草手向野町にあったが、大正大震災で焼失し、昭和三年五月十三日、現地へ移転した。河村瑞軒およびその子義篤の墓、塩原太助の墓、歌人戸田茂睡の手向野の碑が移されてある。
78 正安寺 伊興町狭間八九九にあり、浄土宗で、本尊は阿弥陀三尊、信楽山涅槃院と号する。元和元年(一六一五)の創建で、開山は緑誉満雪大和尚、もと大本山増上寺の末寺で、昭和四年六月、浅草から現地に移転した。
79 栄寿院 伊興町狭間九三〇にあり、曹洞宗で、本尊は延命地蔵菩薩、身長約五・五センチ、恵心僧都の作という。もと鶴見総持寺の末寺で、開基は太田道灌といわれる。当院はもと本所にあり、篠崎延命地蔵尊として著名であった。第二次大戦で焼失し、戦後現地に移ったものである。
80 法受寺 伊興町狭間九三五にあり、浄土宗で、本尊は阿弥陀如来。武蔵国豊島郡尾久の地に創建され、開山は恵心僧都、当時は天台宗で、普賢山恵心院と号した。その後尾久から谷中に移り、新幡随院と称したが、明治以後寺運とみに衰え、昭和十年さらに谷中から当地に移った。宝物に後深草法皇の御尊像、七宝五具足などがあり、桂昌院殿(五代将軍綱吉の母)、丹後宮津城主本荘家累代の墓、柔術家関口弥太郎の墓碑などがある。
81 東岳寺 伊興町前沼一二一〇にあり、曹洞宗だが単立寺で、浅草東岳寺の別院、南昌山と号する。都重要文化財である安藤広重の墓がある。その隣りに昭和三十二年、広重の百回忌に当り、浅草北松山町から移して再建した記念碑がある。その碑面には広重の辞世、「あづま路に筆を残して旅の空、西の御国の名どころを見む」の直筆が刻んである。また広重の芸術を海外に紹介したジョン・スチュアート・ハッパーの墓も、その碑の右側にある。なお当寺は柳多留版元花屋久次郎の菩提寺で、その記念碑が最近建てられた。
82 蓮念寺 伊興町狭間八三五にあり、真宗大谷派で、本尊は阿弥陀如来。貞享二年(一六八五)、渡辺嘉右衛門が信州に創建したもので、昭和七年現地に移転した。宝物に親鸞上人、聖徳太子の画像などがある。