足立区がむかし、江戸府内と奥州方面との交通の要衝(ようしょう)であったことから考えて、ただ一つ架けられていた千住大橋は、その焦点となり、旅人や通行人の往来で、さぞ賑わったことと思われる。したがって市場があった千住宿の繁昌も、問屋場の雑踏も想像以上であったに違いない。このような地理的環境にあったため、江戸市中はもちろん、各地方の人びととしぜん接触も多くなり、また移住者も多かった。このような条件は、その土地のもつ地方色をしだいに失わせて、複雑なものとなし、統一された風俗や習慣を見出すことを困難にした。
市街地として発展した千住地区は全くそのとおりであるが、ただわずかに、農村地域で農事に関する風習や、神仏に関する行事を残している。たとえば、六月の「早苗(さな)ぶり」、十一月四日・十四日・二十四日の四の日に行なう稲作の吉凶を占う「大師粥(がゆ)」の行事、あるいは、花畑、江北の獅子舞、島根の島根ばやし、各部落で行なう大般若(はんにゃ)などである。これとて足立区独特の風習ではなく、他の地方でも行なわれているが、ただ形式や内容にそれぞれの特異性が残されている。
しかし、年々の区画整理事業の進捗(しんちょく)に伴い、農耕地も減少し、新しい市街が造成されて、区外からおびただしい人びとが移住してきたので、郷土的慣習や芸能の行なわれる環境ではなくなってきている。