芭蕉と千住

845 ~ 846

 松尾芭蕉が元禄二年(一六八九)三月、深川を舟で出発して千住に来て、そこから奥の細道の第一歩を踏み出したことは、あまりにも有名である。

「むつまじきかぎり宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千じゅと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。

  行く春や鳥啼(な)き魚の目は泪(なみだ)

 是を矢立の初めとして、行く道なをすすまず。」

 芭蕉の名文『奥の細道』の発端である。芭蕉がこのとき隅田川のどちらの岸に上ったかは定かでない。現在、南側荒川区南千住の素盞雄神社の境内に、この行く春の句碑があるが、これは文政年間(一八一八-一八二九)、千住河原町の俳人、佐可和鯉隠が芭蕉追善のため建てたもので、この地をもって、奥の細道の出発点と断ずることはできない。むしろ「魚の目は泪」の着想は、芭蕉の脳裡に杜甫や陶淵明の詩句がひらめいたとしても、現在も北側にある魚市場のピチピチした水揚げから、そのヒントを与えられたと考えるのが自然である。なおそのころは千住大橋の両岸がすべて千住宿であった。