千住大橋は、文禄三年(一五九四)三月二十一日、普請奉行伊備前守忠次によって架(か)けられた、長さ約一一九メートル、幅約七・九メートルの木橋である。当地掃部宿(かもんじゅく)の開発功労者、石出掃部亮吉胤もよくこの工事を助けたという。千住大橋は江戸五橋では一番古く、当時から交通の要衝であった。ちなみに他の四橋の架橋年代は次の通りである。
両国橋万治三年(一六六〇)
新大橋元禄六年(一六九三)
永代橋元禄十一年(一六九八)
大川橋(吾妻橋)安永三年(一七七四)
そのころの千住宿は、南は山谷通り浅草繩手境から、北は梅田村境まで、西は箕輪(みのわ)通り新町まで、南北約四キロに及び、江戸四宿(千住、板橋、新宿、品川)の一つで、品川についで賑わった。
現在の大橋は、昭和二年十一月に架けかえられたもので、長さ九二・九六メートル、幅二四・七メートルの鉄橋である。
千住大橋は江戸時代の名所として、広重の「江戸百景」にも描かれ、たくさんの詩歌によまれている。今その一端をあげる。
槇(まき)柱朽ちぬためしを大橋や心をこめて世をわたしなむ 三橋飛弾守
若あしの茂りこまやか川も狭(せ)に舟見えがての千住大橋 法月歌容
ほとほとと一銭蒸気くだりゆく見つつ思へば時すぎにけり 釈超空
花嫁の荷と死鳥をもてあそび千住の橋を越ゆる洪水 与謝野寛
大川の流れのうへに舟出だし千住の橋を人の行く見る 窪田空穂
黄に濁る出水のあとの荒川を舟して行けば白き雲わく 同
大橋の長きをはかる燕かな 正岡子規
冬木立千住の橋の見ゆるなり 同
上汐の千住を越ゆる千鳥かな 同
のどかさや千住曲れば野が見ゆる 同
舟遊綾瀬の月を領しけり 高浜虚子
橋涼し長蛇の如き水明り 沼尻詠雪
上野の灯浅草の灯や橋涼し 上田北水
千手大橋 太田錦城加賀儒者(文化文政)
江流涵練一條潮 村口吐虹百丈橋
菰葉露飛波瀲灔 芦花風舞雪飄颻
水烟黯淡巧如畫 野鳥嘹喨呼似招
遊人試倚曲欄望 漁蓬釣艇両三艘
江流練(ねり)を涵(ひた)す一條の潮
村口虹(にじ)を吐く百丈の橋
孤葉露飛んで波瀲灔(れんえん)
芦花風に舞ひ雪飄颻(ひょうよう)
水烟(えん)黯淡として巧(たく)みなること畫の如し
野鳥嘹喨(りょうりょう)と呼んで招くに似たり
遊人試みに曲欄に倚(よ)りて望めば
漁蓬(おう)釣艇両三艘(そう)