千住大橋

850 ~ 852

 千住大橋は、文禄三年(一五九四)三月二十一日、普請奉行伊備前守忠次によって架(か)けられた、長さ約一一九メートル、幅約七・九メートルの木橋である。当地掃部宿(かもんじゅく)の開発功労者、石出掃部亮吉胤もよくこの工事を助けたという。千住大橋は江戸五橋では一番古く、当時から交通の要衝であった。ちなみに他の四橋の架橋年代は次の通りである。

  両国橋万治三年(一六六〇)

  新大橋元禄六年(一六九三)

  永代橋元禄十一年(一六九八)

  大川橋(吾妻橋)安永三年(一七七四)

 そのころの千住宿は、南は山谷通り浅草繩手境から、北は梅田村境まで、西は箕輪(みのわ)通り新町まで、南北約四キロに及び、江戸四宿(千住、板橋、新宿、品川)の一つで、品川についで賑わった。

 現在の大橋は、昭和二年十一月に架けかえられたもので、長さ九二・九六メートル、幅二四・七メートルの鉄橋である。

 千住大橋は江戸時代の名所として、広重の「江戸百景」にも描かれ、たくさんの詩歌によまれている。今その一端をあげる。

槇(まき)柱朽ちぬためしを大橋や心をこめて世をわたしなむ 三橋飛弾守

若あしの茂りこまやか川も狭(せ)に舟見えがての千住大橋  法月歌容

ほとほとと一銭蒸気くだりゆく見つつ思へば時すぎにけり  釈超空

花嫁の荷と死鳥をもてあそび千住の橋を越ゆる洪水     与謝野寛

大川の流れのうへに舟出だし千住の橋を人の行く見る    窪田空穂

黄に濁る出水のあとの荒川を舟して行けば白き雲わく    同


大橋の長きをはかる燕かな     正岡子規

冬木立千住の橋の見ゆるなり    同

上汐の千住を越ゆる千鳥かな    同

のどかさや千住曲れば野が見ゆる  同

舟遊綾瀬の月を領しけり      高浜虚子

橋涼し長蛇の如き水明り      沼尻詠雪

上野の灯浅草の灯や橋涼し     上田北水


  千手大橋     太田錦城加賀儒者(文化文政)

江流涵練一條潮  村口吐虹百丈橋

菰葉露飛波瀲灔  芦花風舞雪飄颻

水烟黯淡巧如畫  野鳥嘹喨呼似招

遊人試倚曲欄望  漁蓬釣艇両三艘


江流練(ねり)を涵(ひた)す一條の潮

村口虹(にじ)を吐く百丈の橋

孤葉露飛んで波瀲灔(れんえん)

芦花風に舞ひ雪飄颻(ひょうよう)

水烟(えん)黯淡として巧(たく)みなること畫の如し

野鳥嘹喨(りょうりょう)と呼んで招くに似たり

遊人試みに曲欄に倚(よ)りて望めば

漁蓬(おう)釣艇両三艘(そう)