今年は珍らしい豊年といふので、近在を相手の此土地では、祭りに力を入れた。南組の天王様では山車が幾つ、踊屋台がいくつ出るとか、北組でも見苦しくない様に、何丁目の揃ひは何ださうだとか、出入りの商人、女髪結などは、其噂ばかりしてゐる。当日は無類の上天気で塾はもとより休ませないと云っても出て来る子供はないのである。一丁目に清水屋といふ瀬戸物屋がある。五間間口の店先が賑はしく、仕入荷を解くもの、おろし荷を造る者などが雑沓して、人の目に付く店であった。それがお父様の病家なので、「今年の祭は特別でございます。みんな小橋の傍で勢揃ひをいたします。どうぞ皆様でお出で下さいまし」との事であった。
あれだけある品をどこへ片附けるやら、緋の毛せんを敷いて金屏風を立て廻してある。「もうぢき参ります」と云って、お茶やお菓子を出してもてなした。
仕事師の木遣の歌と共に、行列は動き出した。工風と云っても為方はない。神功皇后、猿田彦、見馴れた人形が囃子に連れて練って行くのである。形の大小はあっても真岡の浴衣に変りはない。去年寒かったからとか、後の為めだとか云って、四丁目は紺の蚊絣の揃ひにした。まぶしい様な天気に、鳥の一群が行く様に見苦しかった。さあ、今度は五丁目だと皆目を欹(そば)だてた。兼て噂さの浅黄縮緬へ赤の横筋が五本、荒い竪縞の袴、花笠を被り、胸には皆扇を開いてゐる。二三十人列を作って行くのが全く今日中の見物であった。
〓子(注、筆者喜美子)は此列に入るのはどんな種類の人か知らぬ。目の前を通るのをたゞ見てゐると、其中に青木先生が笑ってゐた。そんな筈はないと思って、お母あ様をそっと呼んで「あら、青木先生に似た人がゐますよ」と云ふ。「そうかねえ。」傍にゐた人が知ってゐると見えて云った。「ええ青木先生ですよ、五丁目の小倉(注、名倉か)の若旦那のお友達ですから御一所にお出になったのでせう。そら、色の白い立派なのが若旦那ですよ。」
いつも教壇に立ってむつかしい顔をして、行末は市会議員になる積りだとか、いや国会議員だとか、男生徒の噂をしあふあの人かと驚いた。又小倉といふのは、全国に知らぬものはない整骨家で、親子で遣ってゐる。毎日患者の数は夥しい。砥の粉の様な色の薬を塗った腕を肩に吊ったり、担架に乗ったりして通ふ人もある。傍の宿屋にゐて通ふ人もある。相撲がいつも遊びに行ってゐる。お孫さんは医学修業のために神田辺の学校にゐると聞いてゐた。それが出たのに驚いた。
行列が通ってしまへば千住中の人が家を空にして皆出たかと思ふ程、ぞろぞろと跡を附いて行く。
父親が揃ひの浴衣に三尺帯で、手を引いた娘には縮緬の引擦る様な袖の着物を着せたのもあれば、母親が美しい風をして、五つ計りの男の子に印絆纒を着せ、突掛け草履を穿かせたのもある。どれもどれも今日一日の奢りである。近在の娘達は毎日市場の車の跡(後)押しをして来るのである。草鞋脚絆に身を竪めて手拭を目深に被り、伊達は襷の一寸五分幅、唐縮緬の浅黄や肉色を衒ふに過ぎぬ。それが今日は、楽なのは縮緬まがひに綿入襦珍の帯を暑げに締めてゐる。今日を晴れの厚化粧が、汗で汚れて気の毒であった。
暇乞をして帰ろうとすると「お神輿が参りますから、今暫らく」と留められる。子供達の樽神輿が通ったと思ふと、今度はほんとのお神輿が来た。「さつきは此大祭りに附届けの悪かった家へ土足で担ぎ込んで荒らしたといひます」など私語いてゐる。酒に酔ったのか熱いのか、若い者等の顔の赤さ、やつしよいやつしよいの懸声が恐ろしい様であった。その大勢揉み合ふ中に坊主頭が一つある。鉢巻をしたのが滑りさうだと思ひながら見れば、裏の坊さんで有ったので、又驚いた。其日は珍しいものを沢山見た日であった。(下略)