江戸時代、綾瀬川が増水すると、その下流にあった小菅御殿はたびたび水害にみまわれた。そこで、埼玉県境、いまの蛇橋付近に堤を作って南下する水をせき止めることになった。そのため、こんどは大曾根(埼玉県)以北の部落が、しばしば濁水にみまわれることになってしまった。ある年の洪水に、ふたたびこの災害にさらされた大曾根の名主新八は、村民の危急を救うために、この堤を破ろうとしたが、それを知った下流の村民に襲(おそ)われ、悲惨な最後をとげた。そのうえ幕府のとがめをうけて家までとりあげられ、家族は村を追い払われてしまった。新八の母は村を去るとき、わが子新八が悲壮な最後をとげた地を見納めにしたいと橋のほとりまで来たが、悲しさとうらめしさに逆上してしまい、髪を乱し、恐ろしい形相(ぎょうそう)で夜どおし、「新八や蛇になれ、新八や蛇になれ」と泣きさけび、とうとう濁流に身を投じてしまった。のちに村の人びとがこの橋を渡ろうとして近づくと、橋の上に大木が横たわっている。それが恐ろしい大蛇となって動き出したのを幾度か見かけるようになり、いつとはなしにこの橋を蛇橋とよぶようになった。そして村の人びとは新八母子の冥福を祈るため、橋のたもとに二人の墓碑を建てたという。