一千余年のむかし、嵯峨天皇のころ、東国に悪疫が流行して人びとが難儀を極めていた。
天長三年(八二六年)たまたま全国行脚中の弘法大師がこの地にたちより、村民の難儀をきき、厄難防除のために十一面観音の像を刻み、堂を建てて護摩祈禱をしたが、その際自分や村民の災厄いっさいを自像に負わせて井戸の中に沈めた(一説には土中に埋めたという)ところ、大師の厄難はもちろん、村に流行した悪病もいっさいこの地を去ってしまった。
この井戸が堂の西にあったので、西新井という地名が起こったという。また一説には、土の中に埋められた大師像を掘り出した跡から清水が湧き出て現在の井戸となったといい、これがいまの加持水井(仏力の加護を祈り、病気、災害を除くための井戸)で、西新井の起こりとなっている。