橋戸浮金毘羅

890 ~ 891

 橋戸青果市場の南側に百坪たらずの琴平大権現社がある。この社は洪水の時に浮上って見えたので浮琴平宮ともいう。享保のころ(一七一六-一七三五)、一旅人がこの地にきて病の床につき、里人が看病したが、その効もなく息をひきとった。その際旅人が、幼少から毒疽(どくそ)で悩んだ自分と同じ苦しみを後世の人から除くため、自分の遺骸を埋めて一社を建てるようにいい遺して死んだ。里人は遺言どおり埋葬したところに碑を建て、一社を設け、これを塚田社とした。その後この社は毒疽、災禍除(よけ)に霊験あらたかな神として名が高まり、また、この神域を耕したものは三年を経ずして病に倒れたという。明治になってから水天宮を合祀し、両社をあわせて琴平大権現というが、その因縁は不明である。