千住七不思議

891 ~ 893

 第一話 千住大橋と大亀 千住大橋が木橋であったころ、橋杭が一か所、とくに広い所があったが、これは最初この橋を造る時、橋杭を打込むとき下に大亀がいて、その甲に杭がつっかえて打込めないばかりか災難があったので、それをよけ、その部分だけ広くしたものであるという。

 第二話 千住大橋と大緋鯉(ひごい) 前の話と同じようなものであるが、この話は橋の上流に大緋鯉がいて、日夜橋杭を荒して困ったので、大緋鯉を下流にくだらすために広くしたものだという。

 前二話はいずれも徳川時代から地質の関係で一部橋桁を広くしたものであろうが、これがいつのまにか住民の間で大亀や、緋鯉の話となって伝わったのである。

 第三話 片葉の葦 弘法大師が荒川を渡った時、その御威光にひれふして、河原の葦葉までが一方になびき、そのまま片葉の葦として残ったものという。しかし、この片葉の葦も関屋天神のあった塚付近だけに生えていたので、中居町石田氏宅にこれを移植してからは、根絶してしまった。

 第四話 子福様と油揚げ 千住四丁目長円寺境内に子福様という稲荷社があった。この社は疲れや肩のこり、しもの病、子どもの病気などに効験あらたかなところから、祈願する者が絶えなかった。全快のお礼詣に、油揚げを奉納しないと、再び同じ病気に侵されるといわれる。これは社の裏に狐が住んでいて、ある夜付近の家にはいって寝ていた老人を起こし、油揚げを無心できたのに味をしめ、じ来餌に困ると何度もこれを繰り返した。そのうち被害を受けた人たちの間から、いっそお祀りしてしまおうという話が持ち上ったのだといわれる。また一説には柳原に屠殺所があり、ここから野犬が皮や肉を盗み、口に血をつけたまま千住に来て人を驚かしたので、この話が出たものという、千住の遊女たちは病気がなおると『白だんご』、そうでないときは『土だんご』をこの稲荷に供えたそうである。

 第五話 置いてけ堀 東武線堀切駅の西南、ちょうど京成線と立体交差する辺から南にかけて池があった。この池をおいてけ堀という。釣りや網で魚をとってここまで来ると、後から「置いて行け!置いて行け!」という声がする。二三匹の魚をそこに置いて行けば何事もないが、置かないと葦原にまぎれ込んで夜中になっても帰れなかったり、あるいは、びくをひっくりかえされて魚をみなとられてしまったという。これも狐狸の類のいたずらだといわれている。

 第六話 お閻魔様とそば 千住二丁目金蔵寺の閻魔に祈願をするときには、そばをあげないと、必ず盗難、災害にあうといわれている。由来ははっきりしない。

 第七話 牧の野の大蛇 いまの千住緑町を牧野といった時代、千住の遊廓は千住二丁目にあった。そのころこの遊廓に峰岸楼という揚屋があり、そこにお牧(まき)という遊女がいた。お牧は若く美しい上に素直であったので廓の人気を一人占めにしていた。彼女はついに川越夜舟の船頭と結ばれ、ある夜駈落ちをすることになった。約束の場所でいくら待っても来ない男の心変りに、怒りと哀しみを抱いてお牧は荒川に身を投じてしまった。その後川越夜舟がここを通ると一匹の大蛇がどこからともなく出てきて、船の横腹にぶっかり、てんぷくさせるという椿事(ちんじ)が続いた。人びとはお牧の祟(たゝ)りであると、川越に地蔵を建ててお牧の冥福を祈ったという。

 これは荒川の流路と潮流の関係で入江の木材が河に出入し舟と衝突したのが、お牧を思い出した船頭の目に蛇と映ったのかも知れない。