後冷泉天皇の御代(みよ)(一〇四五-一〇六七)に奥州地方が乱れたので、安部貞任、宗任を征伐せよとの大命があり、すでに源頼義・義家父子は陸奥の国に出向し、非常に苦戦していた。笛の名人として知られた新羅三郎義光は、その時京都にいたが、父頼義の援軍として京都を出発し、やがて足柄を越え、綾瀬川のほとり、花俣郷(いまの花畑)に到着した。義光は「この戦争は簡単に勝敗をきめられるやさしいものではない。ただ力の限り戦い、そのうえは神仏に頼るだけだ」と、中秋の名月の夜、綾瀬川で身を洗い、心を清めて遙か京都の方をふし拝み、逆臣の平定と父子の凱旋(がいせん)を祈願した。その祈願のまだ終らぬうちに、不思議にも、どこからか鷲(わし)が一羽飛んできて義光を守るかのように旋回すると、綾瀬川の水の色が急に変り、まるで白旗がなびくようであった。そして鷲がまっすぐ天に登っていったかと思うとたん、甲冑が急に光を放った。義光は、必らず敵を破ることができると感じ、ただちに奥州に出発した。霊感は正しく、康平五年(一〇六三)貞任・宗任を滅ぼし無事帰京することができた。
それからのち、十一月の酉の日の夜には綾瀬川の水がこうこうと光を放って流れ、空に鷲が舞上るのを、村人はみたという。
そこでこの不思議な幸運の鷲を祀り、鷲明神といって一社を建てた。これがいまの大鷲神社で、祭日を毎年十一月酉の日とさだめ、福運の縁起の神として、東京はじめ埼玉・千葉にいたるまで信仰を集めていた。いまでも花畑では鶏肉・鶏卵を食べると神罰があたるといって、食べない人が多い。鶏を飼っていても、鶏や卵を売ったお金は別にしておき、腰から上の身につける道具を買うという。また年とった老鶏や、不要な鶏は大鷲神社に奉納し、これが数百羽にも達したことがあった。