天狗騒動

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 文久四年(一八六四)四月、藤田小四郎、武田耕雲斎を盟主とする水戸脱藩士のいわゆる天狗党の騒ぎが常陸国筑波山に起こった。前年から西方には天誅組の変、生野の変など倒幕の挙兵が続出したおりなので、いよいよ幕府のひざ元の関東に飛び火したかと、幕府は高崎右京太夫を差遣してこれを鎮めようとした。二百年来の泰平の夢ここに破れて、鎧冑(よろいかぶと)の武具に身を固めた将兵が続々と千住宿を通り、当時の人びとの目を驚かした。幕府は騒乱の波及と人心の不安を鎮めるため、千住宿内千住五町目に関所を設け、警固役藤堂佐渡守、本多中務大夫、惣奉行目付波多野小太郎が各藩士総勢三百人を引き具して、宿内に駐屯した。この騒ぎも天狗党が筑波山に敗れ、中山道(なかせんどう)を京都に上ろうとして退散したため、ほどなく鎮まったが、それが千住町で幕末のさわがしさを味わったはじめである。