慶応四年(一八六八)四月二十六日、下総辺から幕府水軍の脱走兵二百五十名ばかりが千住宿にきて、亀田屋など七軒の旅籠屋(はたごや)に宿泊した。新撰組の騒ぎのあった直後なので、町民の不安も一方ならぬものがあった。官軍はさっそく日向佐土原藩士百五十名を派遣し、これを取り鎮めようとしたが、幕軍が応じないため、一町目石橋のところや二町目の中ほどに大砲を備えつけ、あわや一戦に及ぼうとした。宿内の町民も避難するようにと命令されたので、家財道具を身につけた人びとが右往左往して大混乱となり、親類縁者をたよって近隣に落ち延びる者など引きも切らぬほどであった。五月三日になって、脱走兵士らは降伏したので、町民もようやく安堵の胸をなぜ下ろした。