彰義隊の変

903 ~ 903

 慶応四年五月十四日夜からはじまった上野戦争(彰義隊の変)は、一日で幕軍の敗北となり、上野の山は戦火におおわれ、寺院堂塔も焼失し、江戸市民もはじめてあった戦乱に、なすすべを知らずおののいていた。この戦いに破れた生き残りの彰義隊員は、三三五五、三河島から北方に落ち延び、あるいは民家に隠れ、または変装して逃亡をはかった。当地区には旧江北村、伊興村などに東叡山領(神領)があり、幕府ゆかりの地のこととて、千住大橋はじめ各渡し場の警戒も厳重に行なわれ、千住大橋などは、橋板を全部取除いて監視にあたった。また、鹿浜村だるま塚(現荒川河川敷内)では、潜伏していた隊員数名が逃げられない運命とあきらめ、自害したという悲話も伝えられている。