千住町の系譜を引く町

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江戸時代の足立郡渕江領千住町であり、明治から足立区成立以前の東京府下南足立郡の千住町に属していた町で、現在ではいずれも千住の名前を冠した町丁である。千住一丁目から五丁目と千住仲町、千住河原町、千住橋戸町は、伝馬役をつとめた狭義の千住宿である。いっぽう西部地区で千住を冠する名称を持つ町(西部地区全域)および常東地区で同様に千住の名を冠する町は、江戸時代に耕地が多かったところで、のちに工業地として発展した地域でもあった。

 なお、千住という名を冠した町名は、住居表示の実施前まで荒川放水路(現荒川)以北にもあった。現在の中央本町、足立区役所付近までは、千住町だったところなのである。しかし荒川放水路(現荒川)の建設で南北に分断され、今日では千住だったことの名残も少なくなってきている(『足立風土記稿』地区編5・梅島および地区編・綾瀬を参照)。

 これら千住町の系譜を引く町とともに重要だったのが、千住という名称を冠さない次の町である。