「旧考録」にも、こうした千住の地名が変化したことについての上に掲げたような記述がある(※「旧考録」後編一千住宿成立までの旧古考)。それによると、千住二丁目の検地帳に登場した九つの在家名は「人家のあるところ」であり、江戸時代中頃から明治・大正頃まで用いられた字名と次のように対照できる。
①和田、榎本在家、千崎在家 「西の宮辺」=現在の千住宮元町千住神社付近
②富永、原在家、くわんしやう在家 「西耕地」=現在の商店街から西部付近
③さき在家、よしとみ在家、永久在家 「東耕地」=現在の商店街から東部、JR・東武鉄道付近
④むかひ在家 「四丁田」=現在の荒川以北、大原道(五反野駅前の通り)に沿った地域。
これら在家名は、検地帳という信憑性の高い史料にも裏付けされることから実在し、千住宿の整備に伴って失われていったと考えられる。
※「和田」は、牛田付近との記載が「『風土記』に見える。

千住二丁目を構成した寛永期以前の九つの「在家」所在地
ここで検出できたのは千住二丁目の事例であるが、宿場が整備された段階で、ほかの一丁目から五丁目の各町も同様であったと思われる(千住掃部宿、千住河原町、千住橋戸町は後述)。
なお、検討の中心となった寛永検地(一六二七年の検地)で宿場が確定され、税の免除(地子御免)をうけたと「旧考録」に記されている(後述)。
「旧考録」の寛永年間の地名記述
和田 榎本在家 千崎在家
是ハ今の西の宮辺ヲ云
富永 原在家 くわんしやう在家 原在(ママ)家
是ハ今の西耕地ヲ云
さき在家 よしとみ在家 永久在家
是ハ今の東耕地ヲ云
むかひ在家 是ハ今の四丁田ヲ云
此頃人家のある所を在家といひしなるへし