日光道中二三次

31 ~ 31

この五街道の一つ日光道中は千住から鉢石まで二三の宿場を数える。なお宇都宮までは奥州道中が平行していたため、千住宿は日光道中の宿場であるとともに奥州道中の宿場でもあったが、将軍家の聖地でもあり、日光社参などの大通行に代表される日光道中の方に比重が置かれていた。

※ 以下本書では日光道中・奥州道中のうち、便宜上「日光道中」の語を基本的に用いる。ただし記述の根拠となる資料に則して「奥州海道」や「日光海道」などの表記も用いることとする。

 日光道中の成立は、宇都宮に伝馬役が課された一六〇二(慶長七)年がはじまりとされ、宇都宮以南も順次整備が行われていったと考えられている。例えば千住宿は前述のように一六二五年を画期として整備が行われたが、次の宿場である草加宿の成立は一六三〇(寛永七)年とされるなど(『草加市史』通史編上巻、一九九七年)、段階的に成立していった。


日光道中の23宿