高役免除

31 ~ 32

一六五六(明暦二)年に草加から栗橋までの六宿が提出した高役免除の願書に、千住宿は一二三七石余の高役を免除されている記述がある(越谷市所蔵文書。『越谷市史』第三巻所収、越谷市役所、一九七三年刊行。以下『越谷市史』三と略す)。そして、このことは「旧考録」にも次のように記載されている。

 …略…同(寛永)四丁卯年八月御検地御縄入(ごけんちおんなわいれ)有之。奉行伊奈半左衛門殿御掛り(ぶぎょういなはんざえもんどのおんかゝり)ニ而、千住宿地子(ぢこ)御免地(ごめんち)五万坪被下置(つぼくだしおかれ)、則(すなハち)、人足伝馬、六拾五人、六拾五疋差出候様御定被仰渡候。…略…

※「旧考録」後編所収「一、千住宿成立までの旧古考」より

前掲の一六五六年の願書に登場する高役免除とは、村の土地の高に乗算して賦課される税で、厳密に言えば「旧考録」の言う「地子」とは異なるが、恐らく同一のことを指していると考えられる。また「旧考録」では、こうした「御免地」の設定が、一六二七(寛永四)年の検地で実施されたと述べている。しかし、この高役免除は、一六九五(元禄八)年の検地の際には大幅に縮小され、一部の無年貢地のみになってゆく。

 こうした基本的には領主通行の枠組として宿駅機能は設定されたが、商人や農民の交通でも当然利用され、活況を呈し、様々な役割を果たしていた。