御朱印の例

38 ~ 38

参考のために中奥小性(なかおくこしょう)の白須和泉守(しらすいずみのかみ)が、一八一五(文化一二)年四月十日に千住宿を通行して草加に向かったときの記録を掲げてみよう。

 中奥御小性

一、白須和泉守様

 御朱印

  人足八人

  馬 五疋

 外 人足拾四人

  賃

   馬 四疋

  此立払

 人足弐拾弐人

   内拾五人 正人足

 本馬七疋        草加行

 軽尻弐疋

  是は宿助郷にて継立候分

 御朱印差引

  本馬弐疋

  軽尻馬弐疋   増

  人足拾四人

         ※前掲「文化十二年日〆帳」より

 白須の通行に提供した人馬の合計は、馬九疋、人足二二人であったが、白須は将軍から与えられた朱印状を所持しており、各宿場は人足八人、馬五疋を用意するように記されていた。

 従って、この朱印状に記された人馬については千住宿が無償で提供したが、朱印状の記載分以外で利用された分(「御朱印差引」)、人足一四人、馬四疋は、賃銭による支払が行われている。

 なお朱印状等に記載されない不足分は、通行者が各宿場に支払うが、その金額は幕府が定めた輸送価格である御定賃銭(おさだめちんせん)にのっとって算出された。

 このように朱印状や証文によって宿場は輸送のための人馬を用意しなければならなかった。こうした人馬について常置しなければならない数も定められており(定数)、千住宿では「旧考録」(前掲)によると一六九五(元禄八)年の検地以前は、人足六五人、伝馬六五疋が定数であり、検地のあった一六九五年以後は人足五〇人、馬五〇疋となっていた。

公用通行の人馬継立の区分
1815(文化12)年4月10日中奥小性白須和泉守の場合
種別 馬 人足
人馬提供の実数 9

(本馬7、軽尻2)

22
内訳 御朱印分

 (無償分)

5 8
御朱印差引

 (賃銭分)

4

(本馬2、軽尻2)

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