日光門主の通行は朱印状によって行われ日光道中の各宿場は無償で人馬を提供した。明和年間(一七六四~七二年)までは、人足四〇〇人、馬六〇疋くらいだったが、一八二一(文政四)年頃には、人足八〇〇人、馬九〇疋を提供する継立となっていた(前掲「越ヶ谷宿通行諸家風説書上」)。
通行の規模
日光門主の通行は朱印状によって行われ日光道中の各宿場は無償で人馬を提供した。明和年間(一七六四~七二年)までは、人足四〇〇人、馬六〇疋くらいだったが、一八二一(文政四)年頃には、人足八〇〇人、馬九〇疋を提供する継立となっていた(前掲「越ヶ谷宿通行諸家風説書上」)。