参勤交代

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 大名の通行で代表的なのが参勤交代である。江戸時代のはじめの各大名の証人(人質)提出制度に端を発し、一六三五(寛永一二)年の武家諸法度で制度化された(『参勤交代-巨大都市江戸のなりたち-』江戸東京博物館、一九九七年)。

 参勤交代の時期は、一六三五年の武家諸法度では、四月と定められていたが、のちには外様大名が四月、譜代大名が六月となるなど変動もあった(『徳川禁令考』前集第四、創文社、一九五九年所収、二四二四号文書「交替時節之儀ニ付御書付」)。

 各大名は行列を仕立てて参勤するが、行列の規模は年々華美になり構成も大きくなっていったため、幕府は従者の人数を制限していた。一七〇一(元禄一四)年の制限令を見ると、「兼ねて仰せ出され候。いよいよ人多くこれ無き様に致すべく候。大勢さしつどい候ては、宿々人馬ともに困窮に及び候間」と、たびたび制限したことや、宿場の人馬も困窮することを述べて、多人数の行列を慎むように各藩に令している(『徳川禁令考』前集第四、創文社、一九五九年所収、二四三五号文書「参勤之節従者之員数及繁多間敷旨覚」)。