日光道中は、宇都宮以北の奥州道中を利用する諸大名家を含んでいるため、現在の東北地方の全大名と蝦夷地の松前(福山)藩に至る諸家が利用した。石高別に見ると外様の大藩として知られる陸奥仙台藩伊達家の六二万石を筆頭に、陸奥会津若松藩の松平家二三万石、出羽久保田藩佐竹家二〇万石と続き四〇家を数える。
珍しいところでは、五〇〇〇石の知行高ながら大名としての格式を保った喜連川(きづれがわ)家などもあった。喜連川家は古河公方の系譜をひく名家で足利将軍家の末裔であった。参勤交代は義務化されていなかったが、正月参賀のため、毎年一二月にに江戸に出府するのを通例としていた。
国別に見ると、陸奥、出羽をはじめ下野、常陸、下総の関東各地が利用していた。そのほかにも越後の北部に位置する新発田藩(現新潟県新発田市)なども会津経由で奥州道中、日光道中を利用して江戸と国元を通っていた(ただし新発田藩は中山道を利用することもあった)。
参勤交代を行う大名家のほかに、大名自身は江戸に常駐する定府の大名諸家があった。大名自身は江戸にいたが家臣が国元・領地と頻繁に往復するため、各宿場では、定府大名の諸家も街道を利用する大名家として認識していた。
日光道中の例では水戸藩徳川家の支藩である陸奥守山藩の松平家や、出羽秋田新田藩の佐竹家、七戸藩の南部家など六つの定府大名家の家臣たちが国元との往復に利用していた(一覧表の備考欄を参照されたい)。