このように日光道中、奥州道中、水戸佐倉道という三つの街道が通る千住宿は、江戸四宿のうち品川宿に次いで多くの大名諸家が利用した。各一覧をまとめてみると、次のようになる。
日光道中 奥州道中 四七家
水戸佐倉道 二二家
(内二家は日光道中も利用)
計 六七家(重複分を除く)
このように六七にのぼる大名諸家が千住宿を利用していたことが判る。
なお日光道中と水戸佐倉道の双方を利用したのは、それぞれの街道のほぼ中間に位置していた常陸の笠間藩と下館藩であった。この両藩の利用方法にも代表されるが、通行の事情によっては陸奥仙台藩なども水戸佐倉道を経由することがあった。
いずれにしても千住宿は街道の結節点にあることで多くの大名通行で利用され、江戸と東北、北関東、下越、そして常総方面を結ぶ出入り口としての役割を果たしていたのである。