寺院や神社で催される開帳や祭礼は古仏拝観や神事に触れる機会として、江戸や近郊の人々に楽しまれていた。例えば江戸の年中行事を記した「東都歳時記」(天保九年・一八三八年刊)には、次の祭礼・開帳が記載されている。
正月十六日 閻魔(えんま)参 千住二丁目 勝専寺
千住二丁目 金蔵寺
五月二二日 千住河原町稲荷祭
六月九日 千住大橋綱曳神事
九月十五日 千住掃部宿鎮守氷川明神祭礼
千住二丁目氷川稲荷祭
※ 九月十五日の千住二丁目氷川稲荷祭は、西森神社(現千住神社)の祭礼か。
これらの祭礼のうち、六月にある千住大橋の綱曳神事は、「東都歳時記」が成立した一八三八(天保九)年には取り止めになっていたようで、次のように記されている。
今はなし。小柄原(小塚原)天王の祭礼によって、橋の南北にて大橋を引きあひ、其年の吉凶を占ひけるが、やゝもすれは、闘諍(トウシャウ)に及ひしゆへ、両村云あハせて、此事を止けるとそ。又今日神輿大川を渡せし事ありしか、是も絶たり。
※ 『近世地誌史料集』(足立区教育委員会、一九九三年刊)所収
これによると、綱曳神事は少なくとも天保年間には廃絶しており、さらに神輿の渡輿もあったものの、廃止されたという。
さらに同書には巡拝路が設定されている寺院が記載されており、千住については次の巡拝路と寺院が書き上げられている。
江戸東方四十八所地蔵尊参
十五番 地蔵 千住掃部宿 源長寺
十六番 みかへり地蔵 千住二丁目 勝専寺
荒川辺八十八所弘法大師巡拝
四十四番 千住二丁目 慈眼寺
四十五番 同 不動院
四十六番 同 金蔵寺
四十七番 同 四丁目 長円寺
四十八番 同 五丁目 安養院
六十一番 柳原 理性院
六十三番 牛田 西光院
※ ここに掲げた記載は典拠を見やすいように加筆修正しているので原文の表記のままではない。
これらの寺院群への巡拝客も信仰と行楽を兼ねて江戸内外から千住に訪れていた。
ここで見たように、千住を訪れる旅人の一つに、千住の名所や寺社を訪ねる江戸内外の人々があったのである。
ところで、社寺参詣について見ると、こうした江戸近郊の日常的な参詣のみではなく、日光道中では日光山参詣、水戸佐倉道では筑波山や成田山の参詣なども著名で、定宿が設けられる場合もあった。こうした遠距離の社寺に向かう携行用の絵図や、旅行記も数多く版行され、今日に伝えられている。