伝馬屋敷と宿政・村政との関わり

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千住宿では人足五〇人と馬五〇疋の用意を義務づけられ、上表のとおり各町丁の伝馬屋敷(一七三軒半)に割り振られていた。当初は実際に人馬を出していたが、千住宿明細帳によれば馬役は二両二分、人足役は一両一分で請負人を雇って伝馬役を勤めてきた。しかし、これらの金額が少額であったため馬役を負担する者がいなくなり、一八二三(文政六)年からは馬一疋につき一両、人足一人につき二分が増額された。伝馬屋敷では人馬を用意する代わりに、地子一万五千坪(五町歩)が免除されるほか、六尺給米、伝馬宿入用も免除されていた。

各町丁別伝馬役負担一覧
馬 人足
千住1丁目 6疋半 6人
千住2丁目 7疋 6人
千住3丁目 7疋 6人
千住4丁目 7疋 7人
千住5丁目 4疋 3人
掃部宿 6疋 5人
橋戸町 2疋 2人
河原町 6人
小塚原町 8疋 7人
中村町 2疋半 2人
合計 50疋 50人

※「日光道中千住宿村差出明細帳」(甲田家文書)より作成

 負担という面では、伝馬役負担に加えて、宿入用と村入用の負担の単位としての意味を持ち合わせていた。千住宿明細帳には次のような記述がある。

 一当宿名主・問屋・年寄役料、帳付・馬差・定使給分、地方町用金、大橋番給、仕埋役、潰役并問屋場賄用金等之義、都て御伝馬百姓軒数之内より配当仕来り、左之通りに御座候

 御伝馬屋敷百七拾三軒半 但壱軒に付馬役壱疋勤人足は弐人勤役金にては金弐両弐分つつ

 此訳巨細(こさい)前段ニ申上候

  馬四疋       問屋弐人役料

  馬四疋       問屋場 年寄四人役料

  馬四疋半      帳付三人給料

  馬八疋       馬差八人給料

  馬壱疋半      帳付馬差上給

   此金三両三分帳付壱人に付金弐分つつ馬差壱人に付金壱分つつ相渡残り金壱分は問屋場賄用金え差加に罷成り候

  馬壱疋       御出迎番給料

  馬壱疋       用金請払給料

  馬拾六疋      八ヶ町名主八人役料増役料は壱人に付弐疋ツ丶

   内壱疋引

   是は問屋役兼帯之名主は増役料壱疋は引取ざる筈に付当時九郎左衛門壱人分引取申候

  馬八疋       八ヶ町地方定使八人給料

  馬拾八疋      八ヶ町町用壱か町弐疋二分五厘つつ

  馬三疋       大橋番給

  馬四分壱厘七毛   中村町日慶寺仕埋役

 引残屋敷三拾弐軒八厘三毛 但役金前同断

ここに書き上げられた入用は、街道に面した伝馬屋敷一七三軒半に割り当てられた。伝馬役には人足役と馬役があったが、人足役二人が馬役一疋に相当した。馬役一疋あたり金二両二分に換算されているにもかかわらず、馬を単位にしているのは、前述のように時期によって伝馬役の請負金が変化するためと考えられる。


田畑屋敷小作地代値段と伝馬屋敷の入用負担について記されている場所。

 宿入用(問屋役料から用金請払給料まで)、村入用(名主役料から町用金まで)、その他の三種類に大別できる。伝馬屋敷が宿場関係の経費である宿入用を負担するのは当然といえるが、それに加えて、村入用なども負担していたのである。伝馬屋敷所持者は相応の負担が可能であったと推測される。なお、千住宿明細帳によれば、村入用の賦課単位には伝馬屋敷掛り以外にも、高掛り・田方掛り・面割・小間割(土地の広さを基準にしたもので一小間は平均二〇坪位)など様々なものがあった。