千住宿耕地の年貢

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 千住宿は幕領(天領)であったために、千住の人々は、耕地の年貢を幕府へ上納した。江戸時代、八代将軍吉宗の享保改革の時期、一七三四(享保一九)年から一七五三(宝暦三)年までの年貢の推移について、以下ではみていこう。

1734(享保19)年から1753(宝暦3)年までの年貢納入状況
田(米) 畑(永)
年号 割当高 実納高 備考 割当高 実納高 備考
享保19 27.607石 7.733石 水損引 享保18~元文2定免 永52貫170文 永16貫570文 麦作夏秋
作損毛引
享保20 27.607石 27.607石 定免 永52貫170文 永36貫195文 損毛引
元文元 27.607石 27.607石 定免 永52貫170文 永37貫714文 損毛引
元文2 27.607石 27.607石 定免 永52貫170文 永52貫170文
元文3 29.217石 29.217石 ~寛保2定免 永41貫232文 永41貫232文
元文4 29.217石 29.217石 定免 永41貫232文 永41貫232文
元文5 29.217石 29.217石 定免 永41貫232文 永41貫232文
寛保元 29.217石 29.217石 定免 永41貫232文 永41貫232文
寛保2 29.217石 0石 水損引 永41貫232文 永20貫616文 水損引
寛保3 32.763石 32.763石 検見取 永41貫232文 永41貫232文
延享元 37.677石 37.677石 検見取
0.754石引戻
永41貫232文 永41貫232文
延享2 42.321石 42.321石 定免
0.026石引戻
永41貫232文 永41貫232文
延享3 44.196石 44.196石 定免 永41貫232文 永41貫232文
延享4 39.806石 39.806石 検見取 永41貫232文 永41貫232文
寛延元 30.915石 30.915石 検見取 永41貫232文 永41貫232文
寛延2 44.196石 44.196石 定免 永41貫232文 永41貫232文
寛延3 44.196石 44.196石 定免 永41貫232文 永41貫232文
寛延4 44.196石 44.196石 定免 永41貫232文 永41貫232文
宝暦2 44.196石 44.196石 定免 永41貫232文 永41貫232文
宝暦3 44.196石 44.196石 定免 永41貫232文 永41貫232文

 

 江戸時代、幕領の年貢では開府以来、毎年幕府役人が収穫状況を見極めて年貢高を定める検見取法(けみどりほう)がとられていた。しかし、享保改革期以降、過去の収穫高を勘案して、一定の期間、各年の実際の収穫高の上下に関わらずに年貢高を固定する定免法(じょうめんほう)がとられるようになり、大凶作に限って検見取法(有毛(ありげ)検見法)が採用された。このためにこの時期、幕領である千住宿でも定免法で年貢がとられた。

 一七三四(享保一九)年から一七三七(元文二)年まで、田年貢米二七石六斗七合、畑年貢永(えい)五二貫一七〇匁に固定された。田年貢は、一七三四年に水損のために米一九石八斗七升四合が減免されるほか、定額とおりに納入されている。畑年貢は、一七三四年に麦作での夏秋作損毛のために永三五貫六〇〇文が、翌三五年も損毛のために永一五貫九七五文が、翌々三六年に永一四貫四五六文がそれぞれ減免され、三七年になって定額通りに畑年貢が上納された。

 一七三八(元文三)年から一七四二(寛保二)年まで、田年貢米二九石二斗一升七合、畑年貢永四一貫二三二文であり、うち関東で大水害が起きた一七四二(寛保二)年に田年貢が全額免除されている。畑年貢は三四年から三六年までの年貢減免を踏まえてのためか、永一一貫文ほど年貢が減免された。畑年貢は、これ以降一七五三年まで固定され、一七四二(寛保二)年が田年貢同様に水害のため、永二〇貫六一六文に大幅に減免されたほかは、年貢が定額通りに上納された。

 田年貢は、一七四三(寛保三)年に米三二石七斗六升三合、四四(延享元)年に米三七石六斗七升七合、四五(延享二)年に米四二石三斗二升一合、四六(延享三)年に米四四石一斗九升六合と、二九石余から四四石余まで急激に上昇する。その後、一七四七(延享四)年に米三九石八斗六合、四八(寛延元)年に米三〇石九斗一升五合に年貢が減免されるものの、四九(寛延二)以降は、一七四六年以前の年貢額に固定される。