道路の形状

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町並みの中心軸となるのが、ほぼ南北に宿場を走る日光道中である。道幅は一八四四(天保一五)年の「日光道中宿村大概帳」(児玉幸多編『近世交通史料集』)等、明細類の記述によると道幅五間(九m)とされているものが多い。しかし実際に道路の補修等に関する資料上は四間(七・二m)とする例がある(前掲「日光道中千住宿村差出明細帳」甲田家文書)。この違いは、道の左右の町から三間(〇・九m)ずつ庇が出ており両側合わせて一間(一・八m)分が屋敷の管理下に入っていたためであった。また道は水はけを良くするため砂利が布かれ、中央が高くなっていた。現在でも、道幅は六・八m~七・三mという約四間の道幅であり、往時の道幅を継承している。


庇と道幅の関係
日光道中の道幅は5間であるが両側から庇が3尺ずつ出され、庇を提供した家が管理し、道路として管理したのは4間であった。

 ところで、こうした排水に対する配慮は、宿場全体にも及び、旧街道がもっとも高く、町場の東西方向に低くなっており、東西端には「悪水落」と称される排水路が日光道中に併行して流れている。この形状は、寛永年間(一六二四~四四年)の宿場整備の段階で実施されたとも考えられるが、このことを示す資料は現在のところ確認されていない。