地借と店借

81 ~ 82

ここで見たように千住宿の土地利用では地借と店借があった。その全体像は残念ながら資料が無いため判明しないものの、「千住宿町並図」(織畑家文書)に、これらの内容が記載されている。ただし、この絵図は日光道中の東側のみが記載されていることと、道に面した家のみが記載されているという制約がある。このため傾向のみが見出せることとなるが、地借、店借の状況について本図から見てみよう。

 上に掲げた一覧のように土地の自己保有比率は千住五丁目から千住掃部宿までの平均で三五%に過ぎず、残りのうち五九%が地借もしくは店借であったことが判る(残り約一五%は保有状況が不明)。

 自己保有地が半数を超えているのは、千住四丁目のみで、ほかの町はいずれも半数以下となっている。千住二丁目にいたっては、その九割が地借・店借となっており、自己保有の土地はわずか二筆に過ぎない。他の町丁の自己保有比率は、おおむね半々と言ったところである。

 つまり半数以上の商店が借家・借地によって店を経営していたことことが判明する。また前に見た高田家の事例のとおり、貸し主は、地元で伝馬役を勤めるような家々であり、自家は道中沿いから少し入ったところに屋敷を設けていた。

 このように店借や地借が約半数を占めるという状況は、千住宿の商店が流動性に富んでいたことの反映だったと考えられる。宿場としての主要業種の一つである旅籠の数が年代によって大幅に変化していることが知られているように、千住宿では商店の創業と廃業が繰り返されたと考えられる。店借・地借という土地の利用形態が半分を占めたのは、そうした商店の動向と不可分の関係にあったと考えるのが妥当であろう。

千住宿往還東側の土地保有と借用数
筆数 自己保有 地借・店借 地借・店借判明分 その他
筆数 % 筆数 % 地借 店借
千住五丁目 21 9 42.86 12 57.14 2 6
千住四丁目 25 13 52.00 10 40.00 7 3 家守1、定居1
千住三丁目 27 10 37.04 17 62.96 7 9
千住二丁目 31 2 6.45 28 90.32 18 8 定居1
千住一丁目 31 13 41.94 15 48.39 6 7 他人持2、定居1
千住掃部宿 104 37 35.58 59 56.73 27 12 他人持7、定居1
計 239 84 35.15 141 59.00 67 45

※掃部宿には千住河原町、千住橋戸町が含まれる。
※出典=「千住宿町並図」(織畑家文書、『千住宿図集』による)