移住住民の出身地

82 ~ 83

いっぽう出身地別に見てみると、千住宿が属した渕江領の出身者が一七%、舎人領、峡田領、葛西領など周辺諸領の出身者が五%、そして江戸府内およびその他の地域の出身者が二八%を占めている。これらのうち渕江領および周辺諸領の出身者は、一部の例外を除いておおむね農村だった地域であり、農民が千住宿に移住したと考えられる。いっぽう二八%を占めた江戸その他の地域の出身者は元来、江戸という都市の住民であったと考えられる。この分類内の出身地を見ると浅草や本所など江戸東部からの移住者が多かったことが見てとれる。こうした他地域出身者の受け皿となったのが、さきに見た地借、店借であった。

 これらの数字をまとめると、千住宿は大きく分けて二つの要素があったことが判る。一つは移住者が江戸近郊農村地帯の出身者と、江戸という都市住民の出身者に分けられると言う点である。このことは、千住が周辺人口を受け入れる場所として機能したことを示している。次に二つ目は千住宿出身者は先の地借と店借の部分で見たとおり、土地経営者という側面を持っているということである。加えて言うならば、彼らの多くは耕地経営を行っており、農民としての側面の性格も併せ持っていたのである。

1860 (安政7)年の千住二丁目住民の出身地
地域 町村名 人数 地域 町村名 人数
千住宿 千住二丁目 500 江戸府内その他 浅草新鳥越 22
千住三丁目 7 駒込縄手 6
千住四丁目 86 浅草田原町 20
千住五丁目 115 小石川戸崎町 15
千住掃部宿 58 浅草山之宿 9
千住小塚原町 21 湯島切通 4
千住中村町 17 深川御舟蔵前町 1
(小計) 804 浅草山谷町 9
渕江領 伊興村 18 深川 3
谷中村 8 下谷広徳寺横丁 2
弥五郎新田 59 浅草寺内 22
島根村 25 浅草御蔵前 2
本木村 35 本所中之郷 8
保木間村 46 浅草橋場 3
花又村 9 浅草新寺町 11
西新井村 8 芝弐本榎 10
六月村 6 谷中本村 5
栗原村 2 下谷車坂町 2
竹之塚村 8 本所本村町 4
鹿浜村 15 浅草七軒寺町 4
蒲原村 13 谷中 1
大谷田村 3 上野町弐丁目 4
久左衛門新田 2 池之端七軒町 5
五兵衛新田 6 深川海辺大工町 3
(小計) 263 下谷金杉 11
周辺諸領 (舎人領)入谷村 4 浅草海禅寺内 4
(峡田領)三河島村 9 亀戸 4
(峡田領)下尾久 6 龍泉寺町 6
(葛西領)上千葉村 33 下谷通新町 1
(葛西領)柳原村 15 谷中三崎町 3
(葛西領)新宿 4 浅草鳥越 15
(葛西領)細田 1 浅草本願寺地内 45
(葛西領)隅田村 5 浅草今戸町 37
(葛西領)青戸村 6 浅草阿部川町 8
(小計) 86 浅草三十三間堂前 15
築地本願寺地中 18
千住二丁目 合計 1595名 下谷報忍寺中 11
千住宿出身者 計  804名(50%) 浅草橋場町 12
渕江領出身者 計  263名(17%) 下谷金杉 17
周辺諸領出身者 四谷新町 13
江戸その他 計  442名(28%) 浅草新寺町 4
浅草新堀 10
豊島郡高田村 30
本所 6
(小計) 442

出典=1860(安政7)年3月「当申年宗門人別帳」(足立区立郷土博物館保管、永野家文書)