脱走歩兵の千住宿略奪

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その代表的な事例が幕府歩兵隊の脱走である。二月七日、三番町(現千代田区三番町)に屯所があった幕府陸軍の歩兵第十一連隊と第十二連隊の兵隊約五〇〇名が騒動を起こした。実質的に幕府を統括していた勝海舟は、騒動を聞きつけ三番町の屯所に兵隊をともない騒動を収めようと駆けつけた。勝は「去る者は去れ、止まる者は止まれ、今ここにて同士討ちし笑を引くなかれ」と制止したが歩兵隊は納得せず発砲、勝の随行者を射殺して脱走した。

※ 勝海舟「解難録」、『勝海舟全集』第一巻(講談社、一九七六年)所収。

 三番町から脱走した兵士たちは千住に向かった。七日の深夜にいたって、千住宿に脱走兵士たちが乱入、略奪や押し込みが起きた(二月八日付訴状「御伝馬御用留」(前掲)所収)。千住宿は北の四丁目から南は河原町や小塚原町など全域の商家が略奪を受けている。

 例えば掃部宿の酒屋渡世、百姓専助方では金七両、銭十貫文と衣類が、一丁目の年寄で質物渡世を営んでいた四郎衛門方では金銀六〇両余り奪われた。こうした金や物の強奪のほか、蕎麦代を踏み倒された一丁目の惣吉方の例もある。また、脱走歩兵は、、二丁目の質渡世奧右衛門方に重くて持て余したのか大砲(典拠記載「ふらんけん」)を捨てていっている。

 屯所を脱走し、千住宿で略奪をはたらいた脱走歩兵は草加方面へ逃走、その後、北関東でも乱暴を働き、のちには幕府脱走軍と合流して官軍と戦うことになる(野口武彦『幕府歩兵隊』中公新書、二〇〇三年)。

 この頃、関東各地では一揆が発生。足立郡域でも騒動が起きていた。脱走歩兵の千住宿での略奪行為は、そうした混乱に乗じ騒然となった官軍到着直前の世情の中で発生した。鳥羽伏見の敗戦からひと月、千住宿も混乱の渦中にあったことを示す事例である。